【Act61.2-となりの緋色。(中編)】
バチカル城、謁見の間。
インゴベルト陛下の御前だと思っていてさえ、どうやってルークに謝るか、ということで俺の気はそぞろだった。
しかし根底に染みついた兵士根性でどうにか聞きとったところによると、
街中にいるレプリカ達は、あれでも大分姿を消したのだという。
彼らは一様にレムの塔という場所を目指している。
ティアさんによると、それは魔界に昔からある塔で、創生暦時代の建造物らしい。
そういえばフェレス島に居たレプリカ達もその名を口にしていたっけ。
小さな国が作れそうなほどの数に上るというレプリカ問題に国主として頭を痛めていたインゴベルト陛下は、
ようやく預言会議が形になりそうだというナタリアの前向きな報告に、少しだけ表情を明るくした。
これから、新生ローレライ教団への進軍提案を含めた見解統一のための会議を開くので、
話が纏まるまでファブレ公爵のお屋敷で待つようにという事だった。
そこに自分も参加させてほしいと願い出たナタリアを除いて、俺たちは城を出た。
「私もこの時間を利用して、
マルクトの総意を纏めるよう皇帝陛下に進言してきます」
城を出てすぐにそう言ったジェイドさんは、
アルビオールはお借りしますよ、と付け足してにっこりと笑った。
「あのっ!」
颯爽とひるがえりかけた背に俺は慌てて声を掛ける。
「グ、グランコクマに行くんですよね、それじゃオレも……!」
「ああ。 」
肩越しではなく、しっかりと振り返って真正面から俺と向き合ったジェイドさんが、笑みを深めた。
「あなたはここに残って下さい?」
言葉の裏に目一杯 込められた「さっさと仲直りしろや」という言外言語。
きらきらきらと音が聞こえてくる気さえする華麗な笑顔に、大きく身を震わせた。
俺がライガクイーンに睨まれたオタオタのごとく四方八方へ視線を泳がせた末、
はい、と消え入りそうな声で頷いたの見て、大佐はもう一度にこりと笑ってから、今度こそ去っていった。
気まずいからと逃げるのは許さないということだろう。がくりとうなだれる。
そしてファブレの屋敷に入る直前、久々に入ったアッシュ通信。
話の内容はこちらからは解らないけど、ルークは自分は屋敷に居るから会いたいなら勝手に来い、と言っていた。
もしかするとアッシュがここまで来るのだろうか。
七年間 戻る事の出来なかった、
おそらく今となっては戻る気もなかったはずの、“本当の”家。
「…………アッシュ、かぁ」
俺はくしゃりと後頭部の髪をかきまわす。
直感と呼ぶには漠然としすぎたものが胸を過ぎってすぐに消えた。
自分自身それの正体を捉える事が出来ないまま時が経ち、
燃えるような緋色がファブレ邸を訪れたのは、それから間もなくのことだった。
アッシュは予想通りひどく不本意そうな顔で現れた。
いつもより二本くらいは深い眉間のしわがそれを如実に表していて、俺は思わず苦笑する。
「ローレライとは繋がらなかった。
やはりヴァンの中に取り込まれ、交信不能にされているんだろう」
宝珠の行方についても、進展は無かったようだ。
ローレライは、セフィロトを通じてアッシュに鍵を流した。
だからルークが受け取っていないなら、セフィロトのどこかに辿り着いているはずだと言う。
鍵と宝珠は反応し合うそうだから、見つけ損ねているということは無いはず、であるらしいのだが。
八方塞がりな今の状況を受けてアッシュが苛立たしげに舌打ちをした。
「瘴気のせいで、街の奴らも新生ローレライ教団よりだしな」
そういえば街の皆がそういう話をしていたかもしれない。
上の空で歩いていた間のぼやけた記憶を呼び起こそうと唸っていると、ふいにルークが「瘴気か」と小さく呟いた。
その響きが妙に気になって顔をあげると、思いつめるように落とされた翠の瞳が見える。
ルーク、と思わず掛けそうになった声は音に変わる前にルーク本人の言葉で遮られた。
「アッシュ……超振動で瘴気を中和できるって言ったらどうする?」
ローレライの剣を使って、命と、引き換えに。
初めて聞く情報に戸惑いかけて、すぐ思いなおす。
俺はどこかでそんな話を耳にしたことがある。
ベルケンド。そう、あれはベルケンドだ。
イオン様が残してくれた預言を手掛かりにして向かったあの街の、第一音機関研究所。
根本的な瘴気の消滅を考えなくてはという話になって、スピノザが提案した。
「ルークの超振動はどうじゃろうか」
物質を原子レベルまで分解する超振動なら、なんとかなるのではないかと。
それで、俺はそのことをどうして忘れていたのか。
釣り糸を引くように、記憶が甦ってくる。
確かあのとき、大佐がその事には何も触れずに話題を変えたんだ。
俺はそれを少し珍しいなと思った。そうだ、覚えている。
話は結局、俺たちの前に訪れたというアッシュのことになった。
それから研究所を出て、ちょっと歩いていたら大佐とルークの姿が見えなくて、俺は後ろを振り返った。
その時、大佐とルークが何か話していた。
口論というほどではないけど、あまり穏やかでもない空気、で。
(あれ、だ)
ルークはあそこで、
超振動を使った瘴気消滅の可能性と代価についてを聞いたんだ。
「それで?」
思い出したことが全て繋がって、
突っかかっていたものがピンと弾けた感覚に瞠目した俺の耳に、アッシュの低い声が届く。
「おまえが死んでくれるのか」
「お、俺は」
言い淀んだルークが顔をそらすと、レプリカは簡単に死ぬなんて言えていいな、と
アッシュが苦虫を噛み潰したように吐き捨てる。
それを聞いて泣きそうに眉根を寄せたルークが、顔を上げた。
「……俺だって、死にたくない」
その言葉を聞いて反射的に拳を握る。
噛みしめた奥歯が小さく音を立てた。
(じゃあ、なんで悩んでたんだよ)
悩むって事は、つまり、そういうことじゃないか。
アッシュではないけど、ルークがまた自分がレプリカだからどうとか考えていたのかと思ったら、
もやもやとした黒いものが胸の内に再燃しかけてくるのに気づいて、慌てて深く息を吸った。
それを倍の時間をかけて吐き出すことで自分を落ちつけながら、俺は器用にもその中に溜息を混ぜる。
こんな状態で、どんな顔して謝ればいいのか。
謝るどころか下手を打ったらまた喧嘩してしまいそうで怖くなってきた。
あれから、何やら五分付き合うのどうのと口論していたルークとアッシュは、
どうにか話がまとまったらしい…というかアッシュが折れたようだが。
奥に歩いていく彼らの背中をちらりと見てから、俺はその後に続こうとしていたガイの袖を軽く引いた。
足をとめて、空色の瞳が視線だけでどうかしたのかと問いかけてくるのに、苦笑を浮かべて小声で返す。
「オレ、ちょっとそのへん散歩してくる」
とりあえず、この胸のもやもやがどうにかなるまで頭を冷やしに行こう。
散歩程度でどうなるものでも無いだろうが、何もしないよりは幾分ましな気がした。
するとガイは少しだけ目を細めた後、にっと笑って頷いてくれた。
「夕食までには戻れよ」
「うん」
同じように小声で返された言葉に俺も笑って頷いて、静かに後ろへ下がる。
その動きに気付いて不思議そうに首を傾げたアニスさんには、指先で扉のほうを示して見せた。
アニスさんは何故か納得したようにぬるい笑みを浮かべて、
いってらっしゃい、と口の動きだけで伝えてくれたので、それに手を振って返してから、その場を離れる。
そして屋敷を出ると同時に零した溜息は、自分でもわかるほど、なんともいえず、辛気臭かった。
「っはぁ〜……」
深々とついた息がバチカルの喧騒の中に混じっていくのを感じながら、
城下町の長く広い階段に腰を下ろした俺は、両膝の間に顔を落とすように俯く。
耳に残る余韻さえ消えたところで、膝の上に肘を立て、手の上に顎を置いてゆっくりと頭部の重みを掛けた。
「オレの気持ちなのに……なんでオレの思い通りにならないんだよ……」
嫉妬というのはこんなに厄介な感情なのか。
世の中で愛や恋にいそしむ女の子達がこれと日夜戦い続けているのだとしたら、本当にすごいと思う。
いや、別に俺のは恋とか愛とは関係ないけど。
そういえば男の嫉妬は見苦しいものだと前に陛下が言ってた。
だとしたら、今の俺は相当に見苦しい生き物と化しているんだろう。
「……あー」
飽きもせずにまた深い溜息を吐きだした。
そのとき。
視界の端を過ぎた、鮮やかな緋色。
気付いた瞬間、今日の俺は明確な意図を持って、
その人物の団服の背にあるひらひらした部分を、
しっかと掴んでいた。
突然の出来事でも階段から足を踏み外すなどという失態は犯さず、
僅かなよろめきのみで体勢を立て直した彼が、ぎろりとこちらを睨む。
「―― 迷子だとかぬかしやがったら蹴り落とすぞ」
「今日は違うよ!」
「じゃあ何だ!」
あからさまに苛々した声と顔で吐き捨てるアッシュに、俺はへらりと苦笑を返した。
「……相談に、乗ってください」
アッシュ捕獲。
>「迷子だとかぬかしやがったら蹴り落とすぞ」
>「“今日は”違うよ!」
2万ヒット記念『迷子の迷子のレプリカくん-にばん』参照
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