【Act61.3-となりの緋色。(後編)】
誰かに答えをゆだねる事は止めにしたつもりだけど、やっぱりどうも俺ひとりの手に余るこの事態。
答えじゃなくていい。ほんの小さなヒントでいいからと思った時、
頭に浮かんだのは今目の前でどうにか俺の手を振り払おうと必死な緋色だった。
「アッシュさんっ!」
「うるせえ滓が! なんで俺がそんな面倒くさそうなものに付き合わなきゃならねぇんだ!」
現在地は長い階段のわりと上の方。
絡みつく俺を無理に引っぺがそうとすればもろとも下まで落ちかねない。
そんな状況とあって、さしものアッシュも動きとしての抵抗は控え目だった。
いや、突き刺さらんばかりの眼光と殺気は五割増しだけど。
しかしこのまま持久戦になれば振り払われることは必至だ。
ここで何の糸口も掴めなければ最悪 俺は今日野宿。
こんな半端な気持ちでルークのいるファブレ邸には帰れない、と追い込まれた人間は、とにかく怖いもの知らずだった。
「お願いだよアッシュさん頼むよアッシュさん あぁ何かもういいやアッシュ!
本当にちょっとだけでいいから! な? な!」
「テメェいい加減に ――!」
「レプリカのオレといてアッシュが複雑な気持ちするのは分かってるけどさー!」
すると、ふいに振りほどこうとしていた動きがとまる。
肩越しに振り返ったアッシュは、何だか意外そうな顔をしていた。
その呆気にとられた顔には年相応の幼さが少しだけ垣間見えて、
ああこうしてるとルークによく似てる、なんて口にしていたら即座に切り捨てられたに違いない事を考える。
「……思っていたほどバカじゃない、か」
やがてアッシュは静かに何かを呟いたけど、すぐ傍に居る俺にさえその音は聞き取れなかった。
聞き返そうかと迷っていた俺の前で彼が眉根を寄せる。
それはもういつものアッシュの顔だったけど、最初より雰囲気の険しさが薄れている気がした。
「あ」
気付かぬうちに腕の力が緩んでいたようで、団服の端が手の中から引き抜かれる。
やっぱり駄目かと諦めの息をついた俺の耳に、どかりという音が届いた。
反射的に向けた視線の先には、数十センチ離れて隣に腰を下ろした緋色。
「こっちはお前らみたいに暇じゃないんだ。 さっさと話せ」
そっぽを向いたまま、本当に本当に不服そうに告げるアッシュの姿に、きらきらと涙目を輝かせた。
「ぁああっしゅぅうう〜……!」
「それ以上近寄ったら今度こそ蹴り落とすぞ」
放っておいたら飛びかかってきかねないと判断したらしく、
結構 本気の語調で言われてしまったので俺は渋々その場に留まる。
そういえば、ルークの用というやつは終わったのだろうか。
少し気になったけど、ようやく引き止めたのにここでそんなこと聞いたら
今度こそ立ち去ってしまいそうだったので、ひとまずその疑問は胸の内にとどめた。
静寂の代わりに街のざわめきが間に落ちたのは一瞬。
「なあ。 アッシュってさ」
俺はゆっくりと口を開く。
「両親とかナタリアとか、つい最近までルークに取られたような形だったわけだろ。
それで今、ルークのこと許せたのか?」
「テメェは会うたびに人の地雷を踏みやがるな」
低く押し殺した声。横っ面に突きささる視線を感じて冷や汗と共に顔をそらした。
視線だけを動かして様子を窺うと、しかし何か考える仕草を見せていたアッシュが、短く息を吐き出す。
翠の瞳が俺を映した。
「赦したわけねぇだろうが」
思いのほか静かな調子で零された音に目を丸くする。
確かに仲が良いというには程遠いけど、ここのところはルークに協力的だった印象があると思ったのに。
そのことを遠まわしに伝えれば彼の顔が盛大に顰められる。
「いきなり何もかも忘れて仲良しこよし、なんて出来るか。
御伽噺じゃあるまいし気色悪い」
気色悪いってそこまで言うか、と笑った自分の声。
それがどこか白々しくて、また落ちた短い沈黙の後、重い溜息を吐いて空を仰いだ。
地の底に堕ちていくようにも、空を貫こうとしているようにも見えるこの王都の片隅で、
ちっぽけな俺はどちらに向かえばいいのかまだ分からずにいる。
「なあアッシュ」
「あァ?」
「オレ、ヤなやつなんだよ」
ぽつりと零して青い空に手を伸ばし、掌を握り締めてまた引き戻した。
膝の上で緩々と開いたそこに当然ながら何もないことを確認して苦笑する。
それからこの現状に至るまでの成り行きを俺がぽつりぽつりと話すのを、アッシュはただ黙って聞いていてくれた。
やがて全てを話し終えたところで、ひとつ息をつく。
「大好きなひと達といるのにどろどろした気持ちが出てくるんだ。
頭じゃ良い事だって分かってるのに、変わっていくのが寂しくて、勝手に嫉妬してさ」
改めて言葉にするうちにどんどん自分が情けなくなってくる。
八の字になった眉で くしゃりと顔を歪めた。
「こんなのじゃダメだ。
大好きなひとには大好きって気持ちだけをあげたいのに、こんなの」
体を渦巻く、つい最近まで知らなかった黒い感情。
こんなものを大好きなひとに見せちゃいけない。そんなわけにはいかない、のに。
俯いてきつく拳を握っていると、隣から短く息を吸い込む音がした。
「阿呆か オマエは」
「へ?」
ズバリと音が聞こえた錯覚を覚えるほど切れのいい発声で一刀両断されて、
座っているのにどこか仁王立ちの雰囲気を漂わせたアッシュをぽかんと見やる。
「そんなの無理に決まってんだろうが。 好意だけで政治が成り立つかよ」
「いや、オレ、政治の話はしてない……」
控えめに拱手して告げた言葉も「同じ事だ」の一言に切り捨てられた。
「人間が関わり合う以上、どこかには打算が存在する。
それは政治の場だろうとガキの遊び場だろうと変わらねぇ」
揺るがない視線を真っ直ぐ俺と合わせたアッシュは、小さな子供に現実を言い聞かせるように言う。
捨てた過去と言い張っていても、やっぱり彼にはナタリアやピオニーさんと同じ、国を治める立場として生まれた者の風格があった。
無意識に背筋を正して表情を引き締めていたら、ふと険の無い息をついたアッシュが目を伏せる。
「もっとも、望むものは人それぞれ違うだろうがな」
「望むものって……たとえば?」
アッシュは薄く片目を開けて俺を見たが、すぐにまた閉じて、ふいとそっぽを向いた。
これは途切れたかと思いかけた会話は、翠がこちらを見ないまま再開した。
「金、地位、プライド」
淡々と上げられていく単語ひとつひとつに、俺は頷いて相槌を打っていく。
「それから、」
するとアッシュは何故かそこで言葉を切った。
こちらからわずかに窺える表情はひどく居心地が悪そうで、どうかしたのかと首を傾げる。
間もなく彼が思いきるように息をのんだのが分かった。
「喜んでほしい。 笑ってほしい。
そんな、 “想い”だとか」
アッシュには、あまりにも似合わないその言葉。
思わず目を見開いていると、彼はどことなく赤い顔をこれ以上無いくらい顰めて勢いよく立ち上がり、俺を睨み下ろす。
「 っだからあの死霊使いに構って欲しいならこんなところでグチグチ言ってねぇで
本人にそう言いに行きやがれ滓がぁ!!」
とても性能のいい木づちで、頭をすかんと殴られた気がした。
「…………は、」
胸につかえていた黒いものさえ その拍子に吹き飛んだようだった。
すっと目の前がクリアになる。
「オレ、は」
ああ。そうか俺は。
オレはずっと。
「ジェイドさんに、相手にしてほしかった、のか」
羨ましいとか、妬ましいとか、ここ最近 自分を悩ませていた全ての想いの根っこに、ようやく行きついた。
とても簡単な感情に、ご大層な理屈をつけて捏ね回して、ややこしくしていたのは俺自身か。
自分でもどんな感情を込めたらいいのか分からないまま、
ゆっくりと深く息を吐きだしたと同時にまた気付く。
悩むって事は、つまり、そういうことじゃないか。
それならさっき感じたもやもやは、嫉妬じゃない。
あれは。
あの苛立ちの正体は……。
突然 階段にくずおれんばかりに脱力した俺に驚いたらしいアッシュがびくりと身を揺らす。
何だいきなり、と怒鳴る声を聞きながら、喉の奥からこみあげてきた空気に肩を震わせた。
「〜〜〜っぶ、は!」
「何笑ってやがる」
「ははっ、あはは……っいや、アッシュ、オレ知らなかったんだよ」
手で額を抑え、こみ上げてくる笑いを無理やり噛み殺した反動で
目尻に浮かんだ涙もそのままに、横目で翠の瞳を窺って言う。
「人間って心配を通り越すと怒るものなんだな」
思えばルークへの暗い気持ちなんてとっくに散っていたんだ。
ユリアシティで、ジェイドさんが俺のために歩みを止めてくれた、その時に。
だからつい先ほどのもやもやは嫉妬なんかじゃなかった。
今なら分かる。 あれは“もどかしい”と言うんだ。
アクゼリュスを崩落させ、己がレプリカであることを聞かされてから、自分の存在する理由を探していたルーク。
生きる理由を探して頑張ったり傷ついたりするひと達がいるということを、あの旅ではじめて知ったのは俺。
そう、知ることは出来たけど、やっぱりその気持ちは俺には分からない。
分からないけど、死ぬ事が生まれた意味だとルークが思っているのかと考えたら何だか腹が立った。
ルークを勝手に殺そうとすんな、ふざけんな。
要らないだ何だと、じゃあアンタが大好きな俺はなんなんだって、そう思ったら。
「なんかもう、腹立たしいやら切ないやら、情けないやら」
そんなこんなでどうしようもなくなった複雑な思いを、俺はとっさに嫉妬とカテゴライズしたのだろう。
何せ嫉妬でさえ 最近ようやく理解したばかりで混乱気味だったから、
立て続けに湧いて出た覚えのない感情をそれと混同したのも無理はない、と思いたい。
「あ、ア〜〜〜〜……」
そこで目眩を起こした人間みたいに、一度おおきく頭上を仰いでから、
座った自分の膝に頭を押し付けるようにして体を縮こめた。
「……ッシュ〜〜」
「妙な呼び方するな!」
「アッシュ」
「あぁ!?」
「オレ、ルークが羨ましいままでもいいのかな」
それは顔をほとんど膝につけているせいで、低いくぐもった音となって空気を揺らす。
さっきのは違ったにしても、ルークに嫉妬をしていたことは本当なんだ。
思っていたより動機はずっと単純だったけど、それでも確かにあの黒い水は存在する。
「ジェイドさんに認めて貰えていいなって、ずるいなって思ったまま、」
なあ、だけど。
それでも。
「――――― ルークが大好きでも、いいかなァ?」
大好きなひとへの想い。
ありったけの“大好き”の中に、ほんのちょっとだけ塩辛い何かが、混じっていても。
短い沈黙。
そして。
「勝手にしろ」
返ってきたぶっきらぼうな声を聞いて、俺は小さく笑みを零した。
「うん」
一度知ってしまったものは消えない。蓋をする事もできない。
ひとつの想いで埋め尽くせるほど、ひとの心は容易くない。
だけどそう考えた時ちょっと思ったんだ。
大好きだという想いだけで作れる心がないように、
「ありがとう、アッシュ」
きっと、憎しみだけで出来た心も、ない。
「……チッ」
自分の膝に押し付けていた顔をずらして横を向けば、ひどく表情を歪めたアッシュがいたが、見かけほど機嫌は悪くなさそうだ。
そんなことが分かるようになるくらいには一緒にいたのかと思うと少し嬉しい。
そのまま締まりの無く口元を緩めていると、若干照れたらしく素早く立ちあがったアッシュにガツンと頭を横へ蹴り飛ばされた。
「! テメェはいいからさっさとあの屑と和解しやがれ!
あっちもこっちもうじうじしやがってウザイったらねぇんだよ!!」
でもちゃんと手加減をしてくれていたようで、視覚的なインパクトほど痛みは無かった。
傾いだだけに留まった上半身を引き戻しながら、ごめんごめんと笑って肩をすくめる。
するとさらに眉間の皺を深めたアッシュが、荒い足音を立てて階段を下りていく。
随分長いこと付き合わせてしまった緋色の背を、俺は笑いながら見送った。
この調子ならきっとまた会えるだろう。
とりあえずそのとき怒られないようにするためにも、早くルークと仲直りしておかなくては。
くつくつとなお零れる笑いを噛みしめながら立ち上がり、
ファブレ邸に戻ろうと身をひるがえしたところでふと足をとめる。
「…………」
じっくり考えること、数十秒。
俺ははっとして後ろを振り返った。
「……今アッシュがオレの名前呼んだ!!」
ヘタレは なにかが ふっきれた! アッシュへの なれなれしさが あがった! ▼
アッシュの ストレスが 765 ぞうか した! ▼
大好きなひとの大好きなところがある。大好きなひとのあまり好きじゃないところがある。
相手も自分もいきものだから、いろんな想いがあっていい。
>「……思っていたほど、バカじゃないか」
気付かれてるとは思ってなかったアッシュと、頭はカラカラでも他人の機嫌の良し悪しは本能で感じ取れるチーグル男アビ主。
というかむしろ大佐の傍で生き残る上で身につく必須スキル。
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