【Act61-となりの緋色。(前編)】








ジェイドさんは何も言わず、ただずっと一緒にいてくれた。


そして泣きすぎで咳き込みながらもパフェを完食した俺の嗚咽が、どうにかこうにか治まってきたころ。
控えめに扉が叩かれる音がして、ジェイドさんが立ち上がる。

棚の向こうにその背が消え、すぐに何か話す声が聞こえてきた。
小声で交わされる会話の内容はここからは把握できないけど、相手はたぶんナタリアだろう。
俺はまだ少しぼうっとする頭で、皿を抱えたまま寝台に腰を下ろしていた。


間もなく扉が閉まった気配がしたかと思うと、戻ってきたジェイドさんは今一度 目の前の椅子に腰を下ろす。
静かな赤の瞳がほんの少しだけ気遣うような色を帯びてこちらを捉えた。


「そろそろ時間だそうです。 ……行けますか?」


このひとがようやく“残るか”ではなく“行けるか”と聞いてくれたことが嬉しくて、
また泣きそうになりながら、目一杯 頷いてみせる。

しかし俺はそこで、大事なことを思い出した。


「当然ながらルークも一緒なわけですが」


ぎしりと固まった俺の思考を読んだように(実際読んだのだろうと思う)続けられたジェイドさんの言葉。

そう。そうなのだ。
この旅に俺がいなくても何ら支障はないし、違和感とて欠片もないが、
今や色々な事柄の要となっているルークがテオドーロさんとの会談に参加しないわけがない。
俺が逃げ出さない限り、向かう先には十中八九ルークがいるだろう。

なんて、回りくどく言ってみたものの、要するにルークと会うのが気まずいというだけの話だ。


自分が悪いと分かっているからこそ会いづらいわけだけど、だからこそ、逃げるのもまた嫌だった。
俺がやらなくてはいけない事は、やりたい事は、すでに決まっているのだから。


「ルークに、謝るんでしょう?」


またもここぞというタイミングで響いたのは、柔らかな低音。
短い沈黙の後、下がりきった眉のまま小さく頷けば ゆるりと細められた赤色に、俺はもう一度頷いた。



ルークにあやまろう大作戦、開始だ。





他の皆はすでに外で待っているらしい。
ひと気のない屋内、大佐の後ろを進みながら、何度も状況をシミュレートする。

さりげなく。いつもどおり。
会ったらすぐ言えるように、その三文字を何度も口内で繰り返した。

ベヒモスの群れに放り込まれる前のような切羽詰まった顔でぶつぶつと呟き続ける俺に、
大佐がちらりと呆れた目を向けたのが分かったけれど、それに反応する余裕さえないまま、玄関の外に足を踏み出した。


すると家を出てすぐのところに見慣れた複数の人影。
ひときわ目立つ鮮やかな赤色の髪を見つけて、息をのんだ。

先ほどから考えている心得をしつこく己に言い聞かせながら、足に力を乗せた。
その途中で気付いたナタリアが微笑んでこちらを指さし、続いて皆が振り返る。


そして。
翠の瞳と交差したのは一瞬。


「…………」

「…………」



ぶんっと音がするほど勢いよく顔をそらしたのは、

同時。



「それじゃ、行こうぜ」


身をひるがえして早足に歩き出したルークに苦笑するガイと困ったような顔したティアさんがついて行き、
少しの間を空けて同じく苦笑したナタリアが小さく息をついてから歩き出す。

アニスさんも、やれやれという声が聞こえてくるようなそぶりで肩をすくめると、その後に続いた。


最後に残ったジェイドさんの隣には、
顔をそらした事とそらされた事の両方にショックを受けて打ちひしがれる、一人の男。


瘴気を自己発生させる勢いで床に突っ伏す俺の耳に微かな溜息が届く。

今もポケットに手を入れてすらりと立っているのだろう上司は、「」と俺の名を呼んだ。
俺はそれに条件反射で「はい」と答える。


「謝るんでしょう?」


つい先ほど家の中でされたのと同じ問いに、はい、と消え入りそうな声で再度頷いた。


「ならこんなところで地面に懐いていないで、さっさと立ちなさい。
 いつものウザいほどのしつこさはどこに行ったんです」


グランコクマの水のごとく、さらさらと落ちてくる音。
切れ味のよい響きに、沈み込んで行こうとしていた気持ちが止まる。

床に押し付けていた額を起こして ――やっぱり涙目のままではあったけれど―― ぐっと顔を引き締めた。
そして無造作に投げ出していた手がゆるく拳を作ったのを見て取ってか、大佐が小さく笑う。


「行きますか」

「はいっ」


立ち上がり、ざっと服をはらって、その流れで目元もぬぐった。
するとどこか満足げに目を伏せた大佐は、またすぐに瞼を持ち上げて身をひるがえす。

それに続いて歩を進めながら息を吐いた。
前を行くジェイドさんに気づかれない程度に、べちんと頬をはたく。


「…………」


うまく言葉が出てこない理由、簡単に諦めてしまいそうになる訳には少し気付いていた。


多分 俺はまだ揺れている。

ルークがだいすきだという想いと、未だ胸の奥でうずくまる真っ黒な水の、間で。





あやまろう大作戦を決行するためには、
まずこのモヤモヤした気持ちを何とかしなければいけないのだろう。


「話は分かった。 イオン様亡き今、私がこの会議に参加するのが一番だろう」

「お父様に知らせなければ。
 随分 時間が経ってしまったけれど、ようやく会議を開けますわって」


しかしこれが「さん、ハイ」の合図で無くなるようなものなら
そもそもこんな事態には陥っていないわけで。


「どうなっているの?
 どうしてレプリカ達がこんなところに」

「そいつは化け物だ! 触るんじゃない!」


消したいが、消えない。謝りたいけど、謝りたくない。
全く正反対の色を胸の中でまぜこぜにしているような感覚に閉口する。


「新生ローレライ教団に救いを求めろ!」

「預言を遵守しろ!!
 このまま瘴気にまみれて死ぬのはごめんだ!」

「お願いです、もう少し私たちに時間を下さい」


出口のない迷路なんて大層なものでもなく、まるで丸い滑車を一人転がし続ける堂々巡り。
一体どうすればと、また答えのない問いを自分に掛けて頭をひねる。


「瘴気でもう何人も倒れてるんです。 その上、レプリカってんですか?
 得体の知れない人間もどきがうようよして、俺たちの住処を荒らしやがる」


必要なのはたったひとこと。ああもう、その一言がこんなに難しいなんて。
謝ることにはそれなりに慣れていると思ってたのに。


「人間もどき、か」

「ルーク、彼らは気が立っているだけよ。
 落ち着いて事態がわかれば、」

「いいんだ! ……いいんだ……」



どうしよう。どうすればいいんだろう。

俺ルークにひどいこと言った。謝らなくちゃいけない。
分かっている、分かっているけど、やっぱり胸がもやもやする。あああ。


、あなたもあまり気を落とさないで ――」

「え? あ、はい?」


何か声をかけられた気がして振り返る。
すると、そこにいたティアさんがなんだか呆気にとられた顔で固まった。

まん丸に見開かれた青色の瞳が、大きく一度、二度と瞬く。
やがてその細い肩が気が抜けたように緩々と下がった。


「……う、ううん。
 気にしてないなら、いいの……うん」


いつも凛としている彼女にはめずらしい、少し幼さを感じさせる返事に俺も目をしばたかせたが、
なんでもないと繰り返された言葉に「そうですか?」と首を傾げて、また前を向いた。


「どうやって謝ろう……いや普通に謝ればいいんだけど……」


そして歩みを再開したルークの後に続きながら、またぶつぶつと考え込む。







「基本的にひとつの事しか考えられないんですよ。
 すみませんねぇティア、馬鹿な子供で」

「い、いえ」


各地に出現したレプリカ達。瘴気の発生に混乱する国民。

そんな周囲の混乱もなんのそのと完全にスルーして自分の考えに没頭していた俺は、
背後で交わされていた苦笑気味の会話にも、やっぱり気付かなかった。





謝る、謝らなきゃ、あやまりたいけど。


……あああぁ。









ジレンマを通り越してトリレンマ気味な、叱られて伸びる男アビ主。


>「……行けますか?
「残るか」も「行けるか」も『お前はその気になればいつでもこの危険な旅から降りられるんだぞ』という
可能性を示唆するものだけど、そもそも離れる事を前提とした前者と、共に進む事を前提とした後者では、
アビ主的には意味も気持ちも大違い。

>人間もどき
被験者親子のことがあらかた吹っ切れれば、わりと自分の存在には確固たる自信があるアビ主。
それが罪の原因であり長所のひとつ。紙一重です。