「アニスの狙いはそれかもしれませんねぇ。
 私達を一気に始末する……」

「ジェイドッ!」

「冗談です」

「ったく……」




「―― 半分は」





【Act53.2-燃えたぎる焔の底から。】









むせかえるような熱気。

ぼこん、ぼこんと大きな打楽器を叩くみたいな音を立てて、
真っ赤な溶岩が膨らんで弾ける様子を視界の端にうかがいながら、黙々と歩く。
赤は大好きだが、これはさすがに遠慮したいものだった。

赤すぎて黒く見えるという奇妙な現象に唸りながら、
ずっと眺めていたせいでちかちかする目を伏せ、持ち上げる。


そのとき後ろからちょいと肩をつつかれたので振り返れば、
なんだか夕食がトウフフルコースだったときみたいな顔をしたガイがいた。


「お、おい
 ここに来てからえらく口数少なくないか」


俺は潜めた声で話すガイのちょっと心配そうな空色の瞳を一度覗き込み、すぐに顔ごとそらして俯いた。


「気にしないで。頼む。本当に。 オレは風だ、空気だ、音素だ」

「なんだよ、どうしたんだ?」


こちらの口調からしてさほど深刻なことではないと思ったのか、
さっきまでの心配の色を消して、苦笑するような声で言ったガイを思い切り振りかえる。

あまりの勢いに驚いて立ち止まったガイの正面、
前を行くみんなに気づかれないように抑えた音量で、それでも精一杯に叫んだ。


「これ以上 大佐の神経を逆撫でしたくないんだよっ!」

「へ?」

「いま大佐の機嫌が悪い。 ものすごく悪い。
 触らぬ大佐にタービュランスなし、下手な事はしないにかぎる」

「そ、そうか」


だいたい雪国出身なんだから暑さが得意なはずないんだ。
そのうえ軍服ってやつはバカみたいに暑いんだし……正直俺もいま暑い。

そこに来てあのさっきからのやたらと他人を刺激する言動。 疑う余地は無い。


「とにかくそんなわけで、しばらく大人しくしてるから!
 たぶん今オレの一言一句 一挙一動がまずい

「うざがられてるという自覚は大いにあるんだな……」


悲しいかな俺は大佐の逆鱗に触れる事に関しては免許皆伝(発行元ピオニー九世陛下)だ。
それでも、いつもならほんの十度や二十度うざがられたくらいで諦めはしないのだが。


「……、うん……」

「うん?」

「あ、い、いや」


なんでもないと首を横に振り、ガイが前を向いたのを確認してからひとつ息をつく。

そう、きっと、大佐も悔しいのだろう。
アニスさんが何かを抱えていたことには気づいていたのに、何もしてあげられなかったことが。

生き物の侵入を拒むような暑さの向こう、
明るくて真っ直ぐな茶色の瞳と、優しく穏やかな緑の目の無事をただただ祈った。



「ND2019。
 キムラスカ・ランバルディアの陣営は、ルグニカ平野を北上するだろう」



ダアトからずっと胸の奥でうごめいていた暗く重たい予感に、気づいていながら。



辿り着いたその場所。
モース。 数人のレプリカ兵。

アニスさん。

彼らの中心で巨大な譜石に手をあて、朗々と未来の筋書きを詠みあげる、イオンさまの背中。

惑星預言の詠み上げに彼の体は耐えられない。
アリエッタやティアさんから聞いた話が頭の奥からせりあがる。



「これを陥落したキムラスカ軍は、玉座を最後の皇帝の血で汚し、
 高々と勝利の雄叫びを上げるだろう」


止めなくてはと駆けだしかけた足は、
新たに詠み上げられた文節を耳にして、石のように固まった。

じわりと嫌な汗が浮かんでくる。
これはいつの話だ。 遠い、遠い未来。 いや違う。


「ND2019……最後の、皇帝?」


後一年あたりで皇帝が変わることはあるだろうか。
考えてすぐ否定する。そんなわけない。

じゃあこれは。
この預言が示すのは。

太陽みたいな青の瞳が、脳裏をよぎった。


反射的にジェイドさんに目をやればそこには顰められた赤。
これは彼のことではないと言ってほしかった。
しかしその表情を見て、これが近く、ひどく高い確率で起こりうる未来なのだと思い知らされる。

ユリアの預言は、惑星預言は絶対だった。


「イオン!しっかりしろ!」


混乱していた頭に響いたルークの声に、俺は我にかえってイオンさまに駆け寄った。
イオンさまはいつもの優しい音でティアさんを呼ぶ。

自分が消滅するときに、彼女の中の汚染された第七音素を貰って行くと。
ダアトで言いかけたティアさんを助ける方法というのはそれだった。


「ほら……これでもう、ティアは……大丈夫」


柔らかく微笑んだイオンさま。
俺は地面に膝をつき、ルークに抱きかかえられた彼と視線を合わせるようにして、ゆるゆると首を横に振る。


「イオンさま。
 ダメです、イオンさま、イオンさま」




そっと差し出された手。
それを強く握る。小さな手。


「あなたは、……強い人です」


緑の瞳が俺を真っ直ぐに見て言う。
じんと目の奥が熱くなった。


「オレは、強くなんてありませんっ。
 ……だって、こんな臆病で、今も」


あなたを、助ける事さえ。


イオンさまが静かに首を横に振る。


「あなたは、強いひとです」


繰り返された言葉に何も言えず、
喉の奥に詰まったいろんなものを抑え込むように、俯く。

そんな俺を見てまた笑みを深めたイオンさまの瞳が後方に移った。
とても大事なものを包み込むような優しい仕草で、その手をゆっくりと伸ばしていく。


後ろへ。


アニスさんの、ほうへと。


「今まで……ありがとう……。
 僕の一番……大切な…………」




ひとりの少年の体が空にとけるようにして、音もなく、消えた。



反射的に伸ばした手の隙間を、音素の粒がすり抜けていく。
その瞬間、ふいに全身から血の気が引いた。

倒れそうなほど暑い場所にいたはずなのに、今はひどく体が冷たい。
伸ばしたきりだった腕を緩慢な動きで引き戻し、握り締めた手の平をそっと開く。

そこに何も存在しない事を認識して、びくりと身が震えた。


だって、それは、いつか見た光景。


無機質な部屋。 消毒液の匂い。
死人のような目をしたたくさんの人々。

隣に並んでいた俺と同じような人たちがひとりひとりと音素に帰り、


そして さいごに おれが



( き え る )




「―――― っ!」


脳裏へ鮮やかによみがえった恐怖に、涙の滲む目を強く伏せて頭を抱えた。
地面に膝をついたまま己を守るように体を小さくする、そのとき。


温かな重みが、頭の上を過ぎた。


全身に満ちていた恐怖感が すっと引いていく。


「……あ……」


でも驚いて顔を上げたときにはもうその温もりは過ぎて、
モースに怒鳴るルークの少し後ろに並んだ背中だけが見えた。

金茶の髪と、青の軍服と、今は見えない真っ赤な目。

記憶のいちばん奥で俺を消そうとした手は、今ひどく優しかった。


「ジェイド、さん」


ほんのすこし口元がゆるんだ。
そしていつになくぎこちなかったその掌を想う。

あなたはまったく、いつだって不器用だ。

たぶん俺が聞いたら怒りたくなるくらい今更な事を考えていたに違いない。
湧き上がった笑みを苦笑に変えながら、立ち上がる。

膝のあたりを軽く払ってから背を伸ばし、ふ、とひとつ息をついた。


そうだ。 お前が落ち込んでる場合じゃないだろう。

俺が暗くなったらそれこそ空気が重いんだ。
いつかのアニスさんの言葉を思い出し、目元をぐいとぬぐう。


俺は、俺のやるべき事を頑張ればいい。


「……そうですよね、イオンさま」


彼の温かな笑顔が見えた気がした。
第七譜石を仰いで、泣き笑いのような顔で微笑む。

そしてぐっと胸の前で拳を握り、先に立つ背中に向けて地面を蹴った。







ジェイド。 これが前なら蹴り倒して引っ張り戻してやる程度だった。

でも色々あってデレてきた今となってはそれが出来ないんだけど、
アビ主の恐怖の原因がかなり自分なのでちょっと躊躇したりそんな資格ないと瞬間的に悩んだり、
それでもほうってはおけなかったり。 その結果のぎこちない頭ぽん。


アビ主。 怖いのは“消えること”であって“ジェイドさん”ではないのだけれど、
そのへんを微妙に分かってくれてないジェイドさんに、今日も今日とて「大好きです!」