【Act53-ダアトの導師守護役フォンマスターガーディアン。】











ダアトの教会で、イオンさまは変わらない穏やかさで俺たちを迎えてくれた。
俺の姿を視界に留め、その表情をほっとしたように緩めてくれる。


。 アニスから話は聞いていましたが、本当に傷の具合は良いみたいですね」


安心しました、というイオンさまに、こんな一兵士のことで心配をかけて申し訳ない思いと、
やはりこみ上げる純粋な嬉しさに照れ笑いを浮かべて後頭部をかく。

一度笑みを深めたイオンさまだったけど、すぐに顔色を曇らせて、ティアさんを見た。


「アニスから、ティアが倒れたと聞きましたが……」


その言葉にこちらも少し前の状況を思い出して肩をはねさせる。
ダアトに入った直後、ティアさんが突然めまいがしたと倒れたのだ。

色々とめまぐるしくてすっかり失念していたけど、
ティアさんの体に溜まった瘴気の問題は無くなりも消えもしていないのだという事を思い知らされ、
はねたばかりの肩をゆっくりと落とした俺に、ティアさんが苦笑して「大丈夫よ」と言う。


「イオン様も……ご心配をおかけしてすみません。
 私なら大丈夫です、問題ありません」


ティアさんはいつものように毅然とした対応をするけど、顔色が良くない。
とても大丈夫とは思えないとイオンさまが心配そうに眉を顰めた。


「そういえばアニスはどうした?」


辺りをぐるりと見回したガイが首を傾げる。
ティアさんが倒れたときにアニスさんがイオンさまを呼びに行ってくれたのだが、確かにまだ戻ってきていないようだ。

先に戻ると言っていたのだけれどとイオンさまも不思議そうに目を丸くしていたが、
すぐ戻ってくると思うからと俺たちは先にイオンさまの部屋に向かう事にした。


どこに行ったんだろう。
明るく揺れるツインテールを探してざっと視線を泳がせたが、やはり、その姿は見当たらなかった。




部屋で簡単にティアさんを診たイオンさまが、顔つきを少しだけ厳しいものにする。
いわく、新たに瘴気を吸わない限りここまで消耗するとは思えないとの事だ。

でもオールドラントに瘴気はもう発生していない。
プラネットストームにいくらか混じっていたとしても、それは問題ないものらしいのだけど。


ティアさんの体の中にある瘴気を取り除く方法を考えたほうがいいのではとナタリアが提案するも、
それはティアさん本人に却下……というか、その可能性はないと否定されてしまった。

確かにあのベルケンドの学者さんが無理だと言うものを俺たちがどうにか出来るとは思えない。
唯一なんとか出来そうな大佐が何も言わない以上 ―― もどかしい話だが ―― 打つ手なしというやつなのだ、きっと。

そんなとき、ずっと静かに考え込んでいたイオンさまがおもむろに口を開いた。


「……あの、実は僕、ティアの瘴気を無くす方法に心当たりがあるんです」


思いもよらないひとからの、思いもよらない言葉に目を見開く。
集まった視線を受けて、イオンさまは少しだけ言いづらそうにしながら、その続きを紡ぎ始めたのだが。


「ただ、それを行うには、僕の ――」

「イオン様! 大変です!」


盛大な音を立てて開いた扉と、そこから響いた聞き慣れた声に、
俺はまた違う意味で目を丸くしてそちらを振り返った。

そこにはさっきから姿の見えなかった、軽快なツインテール。
アニスさん、とその名を呼ぶより先に彼女は「外が大変なんです!」と再度 声を上げる。


「瘴気がばーんと出てきてマジヤバですよぅ!
 イオン様! 来て下さい!」


あまりの勢いにぽかんとしている内に、
アニスさんはイオンさまの手を引いて部屋を飛び出して行ってしまった。

今 アニスさんはなんて言っていただろう。
外が大変? 瘴気がばーん?


……瘴気がばーん!?


「ば、ばばばーんですよ大佐!
 あっそうかだからティアさんがっていうか、だって瘴気は、ええ!?」

「……とりあえず頭を冷やしなさい。
 まあ、外に出てみれば分かるでしょう。行きますよ、

「は、はいっ!」


颯爽と歩き出した大佐の後に続いて部屋を出た。
腰元にある剣の存在を確かめながら、ちょこっとだけ冷やした頭で考える。

瘴気がばーんってことは、ただでさえ限界に近かったティアさんの体が大変で、
ようやく生活が落ち着いてきたはずの国民の皆さんも大変で。

要するに、ものすごく大変なことなんじゃないだろうか。


冷やしてなお これしか分からない頭では今はどうしようも無さそうだったので、
とりあえず大佐に遅れないよう、皆と一緒に一階へ降りる譜陣の上に乗った。




譜陣での移動独特の浮遊感と眩しさが消えて、
ゆっくりと開いた視界に飛び込んできた光景に、思わず一歩あとずさる。

俺たちを囲むようにずらりと並び立つ兵士達。
出で立ちだけを見れば信託の盾騎士団のようだが、どうも正規兵ではなさそうだ。

それというのも、彼らを従えている相手がすでに信託の盾の人間ではないからに他ならない。


魔弾のリグレット。

元軍人らしくすらりと伸びた立ち姿でルーク達の前に立ちふさがったのは、
ロニール雪山で一度は決着をつけたはずの人だった。


「動くな」


リグレットは淡々とした声で短く言うと、銃を構える。
なんの真似だ、と問うルークに彼女は、今おまえ達に動かれては迷惑なのだと僅かに眉を顰めた。

ああもう瘴気ばーんの件もあるのに。

立て続けに襲いくる非常事態に軽く混乱気味だった俺の頭は、
次の瞬間に現れた新たな事態を受け、巡り巡って、平静を取り戻した。


突如現れて、立ち並んでいた兵士を跳ね飛ばしたライガ。


「イオン様に何をさせるの、リグレット」


その隣に、小さな女の子の姿。


「……アリエッタ」


僅かな呟きは誰にも聞かれることなく、口の中でとけた。
ついでに、思わず零れた安堵の息も。

本当に生きていたんだ。
アブソーブゲートに来なかったからには無傷というわけでは無かったのだろうが、今見るかぎりは元気そうだった。

ただ、泣きそうな顔をした少女は仲間であるはずの女性を睨みつけている。


「イオン様に第七譜石の預言の詠み直しさせるって本当なの!?」


仲間割れ、というほどの鋭さではないものの、もめているには違いない。
その会話を聞いて、ティアさんが驚いたように眉根を寄せる。

第七譜石。 惑星預言の詠み上げ。
イオン様の体では、それに耐えられない。

耳に届いてくる不吉な話に、剣の柄を握り締めた。


「ルーク! イオン様はアニスがここの教会にあるセフィロトへ連れてった!」


胃の底に重いものが溜まるようなこの感覚に覚えがあると感じた自分の思考に蓋をして、
とにかく目の前の事にだけ集中しようと顔を上げる。

ダアトのセフィロトといえば、この地面がまだ外殻にあったころ。
パッセージリングの操作をするため、ここにある譜陣から飛んだザレッホ火山。

そういえばあのとき、アニスさんの様子がずっとおかしかった事を思い出す。
いつだって物事を真っ直ぐに見据えていたアニスさんの大きな茶色の目が、あのときだけは、俺たちを見なかった。


ぶるっと首を横に振る。
考えるのは後だ。

足止めをしてくれるつもりらしいアリエッタを残していく事は気にかかったが、とにかく二人を探さないと。





前と同じ道すじを辿るように追いかけた先、譜陣がある部屋に通じる書庫。
そこにはアニスさん、イオンさま、そして護送船から消えたモースの姿があった。


「アニス、これは一体どういうことなんだ?」

「……それは」


問いかけるルークに、アニスさんが口ごもる。

揺れる茶色の瞳はこちらを捉えない。
地面に落とされたままの視線がさみしくて、アニスさん、と小さく零した呼び声に、
彼女の顔がほんの僅かに顰められたとき、荒くアニスさんの名を呼ぶ声が割り込んだ。


「裏切ればオリバーたちのことは分かっているな?」


重い重い鎖のように、そう言い放ったモースがイオンさまを連れて隠し扉の向こうに消える。
ガイが眉を顰めて呼びかけた。


「おい、アニス! オリバーさん達がどうしたって言うんだ?」


瞬間、ひどく辛そうに歪んだ茶色の目が、すぐに鋭くつりあがり俺たちを睨みつける。
いつも肌身離さず身に着けていたトクナガを荒い動作で掴み、彼女はそれを思い切りガイに投げつけた。


「うるさいな!
 私は、元々モース様にイオン様のことを連絡するのが仕事なの!!」


最後にそう怒鳴って身をひるがえしたアニスさんの背中が、同じく隠し扉の向こうに駆けだす。


「ア、アニスさ……っ」


追って部屋に飛び込めば、アニスさんの姿が譜陣に溶けるように消えた直後だった。
慌てて床を蹴って、飛び込むように譜陣を踏み込み、そして。


「もぶっ!!」


つんのめった勢いで、教会の綺麗な床に思い切り体の前面を叩きつけて、止まった。
転がって悶絶する俺の傍らに膝をつき、譜陣が書き込まれた床を指でなぞった大佐がひとつ息をつく。


「駄目ですね、反応しません。
 ほらいつまで転がってるんですか」

「ひぇい……」


大佐が立ち上がるついでに俺の首根っこを掴んで引き起こしてくれる。

打ちつけた顔を押さえながら立ち上がり、うんともすんとも言わない譜陣を涙目で見つめていると、
アニスさんに投げられたトクナガを静かに眺めていたガイがふと眉根を寄せて、
本体とその背にリュックのように取りつけられた白い袋の間から、何か紙のようなものを取り出した。

手紙だ。ルークがそれを読みあげる。


“ザレッホ火山の噴火口からセフィロトへ繋がる道あり”

“ごめんなさい”


いつも明るい文字で、明るい言葉で綴られた彼女の手紙を読んでいた。
でも、細い字で書かれたそれはまるでアニスさんの手紙じゃないみたいで、
俺はガイの腕に抱かれたままのトクナガをそっと撫でる。


「とにかく今はアニスの手紙を信じて、ザレッホ火山に行ってみましょう」


ティアさんの言葉に頷いて、みんなで急ぎダアトを発つ事にした。
イオン様が惑星預言を詠んでしまったら、取り返しがつかないことになる。




教会を抜けるとき、アリエッタとリグレット、あれだけいた兵士達の姿はすでになかった。
途中で会ったトリトハイムさんの話では、アリエッタは怪我をしていたから休ませたそうだけど、
リグレットの行方については分からないようだ。

それと最初にアニスさんが言っていた瘴気の復活は本当のことらしい。

ルークが教会の扉を開け放って、外に立ち込める紫色の空気が目に飛び込んできたとき、
涙目で仰ぎみた大佐はいつもの笑顔で肩をすくめただけだった。

こ、これこそ嘘だったら良かったのになあ……!



アルビオールに向かおうとする途中で、
街の入り口付近に広がる異様な光景に気づき誰からともなく足を止めた。

不満の声を上げるダアトのひと達の向こう、人の出入りを堰き止めるようにして立ち並ぶ、
揃いのボディスーツを着たたくさんの人達。

彼らは一様に死んだような表情を浮かべていた。
ある種の迫力に半ば感嘆して、ふへえ、と言葉ともつかない声を上げる。


そして、滑らせた視線の先で。

息を飲んだ。


「イエモンさん!? そんな馬鹿な!」


ルークの驚愕がどこか遠くに聞こえた。

無数に広がる、死人のような顔をした人々。
その中にいるとても懐かしい顔をした、人たち。


「良い名前じゃの」

「最期くらい、名前で、呼んでくれては、どうです?」



イエモンさん。
アスランさん。

頭で考えると同時に、体全体がそれを否定する。


違う。

違う、と。


「以前、レプリカを軍事転用するために、特定の行動をすり込むという実験をしていました」


目眩がしてくる気がした。
揺らぎそうになる足に力を込めて自分を支える。


「標的発見。 捕捉せよ」


同じであるからこそ際立つ、致命的なまでの相違感。
同じでありすぎるから、同じではないと解る。


「どうしてだ、どうして姉上がいる!?」


しかし確かに懐かしく親しい者の面影を映す、親しい者ではない“誰か”。


「出口方向のレプリカだけを始末してこの場を、」

「待ってくれ! そこには俺の姉上が……マリィ姉さんがいる!」


途方もない矛盾と、うずまく想い。
それは。


「……レプリカですよ!」

「分かってる! だが……!」




それは、なんて。




「―― お兄ちゃんの偽者!」




「――



かけられた声に、はっとして意識を引き戻す。
周囲にはティアさんの譜歌で眠りについたレプリカやダアトの人達が倒れていた。

気づけば目の前には僅かに顰められた赤い色。


「……あまり長くは持ちません。 行きますよ」

「は、はい」


この状況がティアさんが体調をおしてかけてくれた譜歌の結果であることを思い出して、弾かれたように動き出す。
それを見てまたひとつ息をついた大佐が前を歩き始める。



俺は最後に一度だけ、ダアトの教会を振り返り、すぐその後に続いて駆けだした。








自分がやらかした事の重さを今一度、身を持って思い知る。
でもそれも昔だったら分からなかったこと。

何もなければここでアビ主をフォローするのは
いつのまにか事情通にさせられた心のお母さんガイラルディア・ガラン・ガルディオスですが、
マリィさんの事があって動揺中のため、代わりにフォロるジェイドさん。

何考えてたかは大体分かってる。