【Act46-ひとつ!囚人への配給は速やかに。】
「げ」
トレイ片手に現れた俺を見て、
“奴”は例の黒い虫でも目撃したように、表情を歪めたのだった。
配給用の小窓からトレイを差し入れながら、俺は牢の向こうに怒鳴る。
「そう言いたいのはこっちだよ!
何でオレがアンタに食事運んでこなきゃなんないんだ!?」
「嫌なら来なきゃいいじゃないですか気持ち悪い!」
すると奴が言葉どおり気味の悪そうな顔で怒鳴り返してくる。
内心の荒れ模様とは反対に、丁重に差し入れまた丁寧に小窓を閉じてしまう体が少し悔しい。
くう、染み付いた兵士魂が。
「だってみんな嫌がって内部で毎日 配膳役たらい回しだったんだよ!」
俺もそれを今日知った。 というか今日から完全復活、仕事復帰だ。
なのに偶然そのへんを通りかかったらこんなことに。
目の前の牢屋に入っている男。
ジェイドさんいわくハナタレディストこと、自称 薔薇のディストこと、
六神将の死神ディストこと、囚人番号A−9643731こと。
……サフィール・ワイヨン・ネイスは、
その言葉を聞いてなぜか得意げにふんと鼻をならした。
「やれやれ。 凡人共は私の高貴さに恐れをなしますか」
「……なんかうざいから嫌だって言ってたぞ」
それでもって、よしお前もうざいからちょうどいい、と押し付けられたのだ。
目には目をという方向だったのだろうが、ちょっと切ない。
ディストがくいと眉を引き上げて笑う。
「やはりこの私を理解できるのはジェイドだけのようですね!
ほらそこのレプリカ! さっさとジェイドを呼んできなさい!」
牢の中から突きつけられた人差し指に、俺はぴくりとこめかみを引きつらせた。
そして腰に手を当ててふんぞりかえる。
「ダメだ! ジェイドさんは仕事してるんだよ!」
ただでさえ忙しいところへ、今はルーク達と旅に出ていた間の仕事が溜まりに溜まって、
それはもう大変なことになっているのに、囚人の取調べなんかさせられない。
大佐が過労で倒れたらどうしてくれるんだ。
「私はジェイドでなければ話しませんよ!」
「だから忙しいんだって言ってるだろ!
ジェイドさんはすごい頭が良いから、その分 任せられる仕事も多いんだ!」
そう言うと、ディストは一瞬 動きを止めた後、ほうけたような息をひとつ吐いた。
そしてどことなく嬉しげな顔で咳払いをする。
「そ、そうですねっ。
彼は私と肩を並べるほど優秀ですから、仕事が多くて当然です!」
「それに槍の腕だってすごいし」
「やはり譜術は群を抜いていますよ」
「すごいカッコイイしな」
「格好良い」
「…………」
「…………」
ほぅっと息をつきながら、だらしなくにやける。
やっぱり、カッコイイよな、ジェイドさん。
そのまましばし恍惚と思考にふけっていたが、
ディストが同じような顔で虚空を見ているのに気付きハッとして首を横に振った。
「そ、そうじゃなくて!
えーと、だから、ジェイドさんにアンタに会いに来るような暇はないの!」
あれだけ言い合ってた相手としみじみ語り合ってしまったなんて恥ずかしすぎる。
微妙に熱い顔でもって怒鳴ると、ディストもすぐ我にかえって俺を睨んだが、その顔もやはり赤かった。
「だ、だだだ、だから貴方では話にならないと言っているでしょう!
いいからジェイドを呼びなさいビビリレプリカ!」
「うっさいハナタレディスト!」
「キィー! 誰がハナタレですか!!」
がしゃりと鉄格子に詰め寄って癇癪を起こすディストから、
怖いのでちょっとだけ距離をとりながら「へんだ!」と言い返す。
そのまま喧喧と言い合っていると、収容所の通路に深い溜息が響いた。
二人そろって口を閉ざし、そちらを向く。
「。 何をハナタレと同じレベルで争ってるんです」
そこには心底呆れた色をした赤色の瞳。
俺はぱっと表情を輝かせる。
「ジェイドさん!」
「ジェッ……!」
ディストも一瞬だけ目を見開き、そのあと気を取り直すように咳払いをしてから、
すばやく胸を張って笑い出した。
「はーっはっはっは! ようやくお出ましですね!」
水を得た魚のような転身ぶりに俺が表情を歪めたとき、
大佐の後ろからすいと現れた人影に、ぎょっと目を見開いた。
「よーぅ! サフィール!」
収容所には似つかわしくない笑顔でもって片手を上げたのは、
天下のピオニー・ウパラ・マルクト九世陛下。
楽しげに光る海の色をした瞳に、俺とディストは揃って悲鳴を上げる。
「なんであなたがここにいるんですか!」
「なんで陛下がこんなとこに来るんですかぁ!」
俺とディスト。 音は似ていても示す意味は若干違う。
大佐が来たってだけでも恐れ多いのに、まさかの皇帝陛下まで来てしまったのだ。
兵士としては悲鳴を上げざるを得ないだろう。
しかし「ここは俺の国だぞ?」と双方の言葉を一蹴した陛下に、
若干開き直った感じのする笑顔でもって、是非とも取り調べをしたいと仰るから、と大佐が肩をすくめる。
諦めたんですね、大佐。
そしてならいっそディストの相手をさせてしまおうと思ったんですね、大佐。
今回ばかりは上司の思惑が察せられるようで、俺はそっと目元を拭った。
だが頑なに何も喋らないと言い張るディストの姿に、
陛下や大佐達には何か思い起こされる記憶があるようだ。
出会った頃。 軟禁された皇子。 忍び込む。
飛び交う単語をぽかんとしながら追っていたこちらを、ふいに陛下が顧みた。
「聞きたいか?」
イラズラっ子のような、にやりとした笑みを向けられる。
俺は慌てて顔の前で手を横に振った。
「い、いえ、俺は、」
べつに、と続けようとした声を飲み込む。
掲げていた手を、胸の前で緩く握った。
小さく息を吸う。
「―― ……き、聞きたいです!」
そして意を決して口にした言葉に、陛下は満足げに「ん!」と笑い、
その向こうでは大佐が赤い目を丸くしていた。
怒られるだろうか。
それともバカなこというなって流されるだろうか。
胸が緊張に高鳴る中、僅かな沈黙の後、緩められた赤色がしかたがないというように苦笑する。
それを見た陛下がまた嬉しげに笑みを深めて、ディストへと視線を移した。
「おまえ、あの時も憲兵に捕まったんだよな」
「そういえばそうでしたねぇ」
陛下の言葉に続いた大佐の声に、俺はきらりと目を輝かせる。
ジェイドさんの、昔の話、だ。
むかしむかし、というほど昔ではないだろうけど、
当然俺は陰も形もなく、ジェイドさん達がまだ子供だったころ。
ケテルブルクに疎開してきた陛下に会おうと、
ジェイドさんとディストは疎開先の屋敷に向かったらしい。
どうもそのころはあんなじゃなくて、気の弱い普通の子供だったらしいディストは、
屋敷に侵入するためのオトリとしてジェイドさんに使われたのだという。
そこに僅かながら自分の姿を重ね合わせて遠い目になるも、
進められていく会話を聞き漏らすまいと意識を引き戻す。
そのころを思い出したのかディストがちょっと涙目で声を上げた。
「もう少しで私は収容所へ連れて行かれるところだったのですよ!」
「別に痛くもかゆくもありません」
笑顔のままさらりと言う大佐を見て、
ディストは少し言葉に詰まった後、ふんと腕を組んだ。
「連れて行かれなかったのはネビリム先生のおかげです!」
上げられた名前に、空気が色を変えた。
軋んだ空間に気付いているのかいないのか、ディストが続ける。
「ねぇジェイド、考え直しませんか」
もう一度ネビリムを蘇らせ、あの時代を取り戻そうと彼は言う。
自分達になら出来るはずだと。
大佐は何も言わなかった。
その様子を伺った陛下が、静かに口を開く。
「サフィール。 ……ネビリム先生は、」
「あなたには何も言っていませんよ!」
しかしディストはそれを遮って、再度大佐を見た。
もう一度ネビリム先生を。
もう一度、フォミクリーを。
「……書類の整理が残っておりますので、私はそろそろ失礼致します」
今度 言葉を遮ったのは大佐のほうだった。
いつもどおりの笑みをひとつ浮かべて、青の軍服が身をひるがえす。
冷たい色をした石で出来た廊下に、カツン、カツンと硬質な音を響かせて、その背中が消えた。
「んじゃ、またな! サフィール!」
目を細めて何やら考え込んでいた陛下も、パッと笑顔を浮かべてディストに手を振ってから、
大佐が進んだのと同じ廊下を軽い足取りで歩いて行ってしまった。
しんと静まり返ったこの場に、残された二人。
俺は反射的に後を追おうとした足を引きとめて拳を握る。
人づてに聞いた過去しか知らない俺では、何も出来ない。
ここは陛下に任せたほうがいいだろう。
頭では分かりつつも込み上げる無力感に一度目を伏せた後、
俺はギッと半眼で牢の中を睨んだ。
「ッバカ!!」
「あ、あなたにそんなこと言われる筋合いありませんよ!」
ディストはすぐさま怒鳴り返してきたけど、その後また落ちた沈黙。
「……はぁ」
やがてほの暗い収容所にこぼれた溜め息は、同時だった。
「テイルズオブファンダムVOL.2」より『マルクト帝国騒動記』編 開始。
残されたハナタレとヘタレプリカ。
いっそネビリムさんのことなんか忘れちゃえばいいのに、と思うアビ主の溜息。
やっぱりネビリム先生がいないとダメなんだなぁ、と思うディストの溜息。
同じ山手線だけど内回りと外回りみたいな二人。
出発点も終着点も同じ気持ち。 しかし道筋は正反対。
どちらが正しいというのはないけど、どちらもジェイドが大好きなんです。
ジェイドさん談義にて、すごいすごいと語彙の貧困な男アビ主。
← □ (ガイ)→