【Act86.2-終わりと始まりのカウントダウン。(中編)】










話し込んでいたら思いのほか時間が経ってしまった。
さすがにこれ以上みんなを待たせるわけにはいかない。


「じゃあピオニーさん、オレそろそろ行きますね」

「ああ。 ――今の話、ジェイドにはいつするんだ?」

「タイミングがあればエルドラントに行く前に、と思ってますけど……」


でも大事な決戦前に時間をとらせてしまうのも何なので、
無理にとは、と言いかけた俺の両肩をピオニーさんががしりと掴んだ。


「お前がタイミングとか言い出すと
 大体ずるずる言いそびれて気まずくなるやつだからさっさと言え」

「ううっ、見透かされてる」

「当たり前だ。何年お前らの面倒臭いやりとり見てきたと思ってる。
 だから絶対ケセドニアで言えよ、出兵前の自由時間あるだろ」

「はいぃ……」


俺の返事を聞いて満足げに頷いたピオニーさんは、
ふいに小さく笑って、俺の頭をぐしゃぐしゃとかきまわした。


「ま、お前が思っているような結果にはならんと思うがな」

「えっ、どの部分がですか!? ぜんぶ!?」

「それは自分で確認しろ」


ピオニーさんにくるりと体の向きを反転させられて、扉のほうに向かって背中を押される。

勢いで数歩前に歩み出てから振り返ると、こちらを見据える海みたいな青の瞳は、
一瞬だけそこに浮かべていた真剣な色をすぐにいつもの“ピオニー陛下”の力強い瞳に変えて、にかりと笑った。


「……行ってこい!」


これからエルドラントに向かう、俺達の背を押す言葉。

願いも信頼も、全てがこもったその短い言葉に、
俺もまた全ての思いを込めた敬礼と共に頷く。


「はいっ!」


そうして今度こそ部屋から出ようと扉に手をかけたあと、ふと肩越しに陛下を振り返った。


「ピオニーさん」

「おう。なんだ」

「にわとりは、幸せだったと思いますよ」


ずっと前に聞かせてもらった、空を夢見る飛べない鳥の話。
あのときの問いの答えを、俺はようやく返す。

すると驚いたように目を見開いて、
それからくしゃりと笑み崩れた“ピオニーさん”に、笑い返して前を向いた。


その瞬間、背後から聞こえてきた軽快なヒヅメの音。
嫌な予感にひゅっと息を飲んだのとほぼ同時、


「ぉぶっ!!?」


――ジェイドさまの全力タックルが背中に決まった。


そして文字通り叩き出された部屋の中から、
少し前のしおらしさはなんだったのかというようなジェイドさまの高らかな鳴き声と、陛下の盛大な笑い声が響いてくる。

俺は痛む背中を手でさすりながら身を起こして、苦笑した。


「……はい、がんばります、ジェイドさま」


名前が同じだとこういうところまで似てくるのだろうか。
ジェイドさまの激励はやっぱりちょっと過激で、痛いのだった。









それから向かったケセドニアで、
ゴールドバーグ将軍から聞いた作戦の詳細はこうだった。

マルクト・キムラスカ連合軍が中央大海とイスパニア半島の所定の位置から砲撃で援護してくれている間に、
俺達は対空放火がいくらか薄い下のほうからアルビオールでエルドラントに突入する、と。

決行は明日の正午。
泣いても笑っても怯えても、そこで全てが決まるんだ。


「明日か。ってことは今日一日は空いてるんだよな」

「ええ、出兵前の兵士には二十四時間の自由行動が与えられますから」


ガイの問いかけに対する大佐の答えを聞いて、ピオニーさんとの約束を思い出しハッとする。
そうだ、今日中にちゃんと伝えなくては。

どこでどう切り出そうかと俺が悩んでいる間に、
アニスさんが早々にガイとナタリアを連れて場を離れ、
ルークとティアさんもノエルに誘われてどこかへ行ってしまった。

早くしないとジェイドさんまで去ってしまうかもしれない。


「あ、あのっ!」


焦りで言葉のまとまらないまま顔を上げると、
予想外にジェイドさんはまだそこにいて、まるで待ってくれているように、俺を見ていた。

立ち止まって。こっちを見て。言葉を待ってくれる。

ただそれだけの光景がなんだかとても胸にしみて、
目の奥をじわりと熱くさせた。


「……ジェイドさ、」

「何ぼけっとしてるんですか、行きますよ」

「ぐえ」


感極まっていた俺の首根っこを流れるような動きで掴んだ大佐が、サクサクと歩き出す。
砂の上を後ろ向きに引きずられながら、行くってどこへ、と聞いてみたが返事はなかった。

先ほど感動した部分がことごとくミスティック・ケージされた感があるが、
とにかく一緒に行っていいらしい事だけ認識して、やっぱり俺の口元は緩むのだった。



大佐が俺を連れて向かったのは、マルクトとキムラスカの国境上に建つ、ケセドニア唯一の酒場。
前にノワール達と話したあの場所だ。

酒場の前についたところで首根っこを離されて、
後頭部から倒れ込んだせいで付いた砂を払い落としている間に、大佐が店内へ入っていく。

急いでそれを追いかけて、カウンターで何か注文をしたらしい大佐の横に並んだ。


「なんか、思ったよりお客さんいますね」


もちろん平時ほどではないんだろうけど、
酒場の中だけ見れば、今が世界の命運をかけた状況にあるとは思えないくらいの日常が広がっている。


「こんな時だからこそでしょう。
 日常を保つことで、目前に迫った非日常を忘れたいんですよ」


そう言われてみれば確かに酔いつぶれている人が多い気もするし、
陽気に騒いでいる風に見える人たちの様子にも、多少ぎこちなさがある気がしなくもない。

けれど隣にいる大佐がとにかくいつも通りだからか、
はたまた室内でエルドラントが見えないせいか、自分でも不思議なほど今の気分は落ち着いていた。

そうこうしているうちに大佐が注文したお酒がカウンターに置かれて、
なぜか俺の前にも同じ中身の入ったグラスがひとつ置かれる。


「えっ、オレ注文してませんけど」

「私の奢りですよ」

「えぇ!?」

「何驚いてるんですか。飲めないわけではないでしょう?」

「わけではない、ですけど」


軍にはあまり娯楽がないからか、兵士仲間はみんな酒盛りが好きだ。
それに付き合ってきた結果で俺もなんとなく飲めるけど、特に自分から飲もうとしたことはなかった。

だけど大佐がご馳走してくれたというだけで、目の前のお酒がすごく特別なものに見えてくる。


「そういえば、貴方と酌み交わすのは初めてですね」

「大佐がごちそうしてくれたお酒……飲むの、もったいないような……」

「飲まないなら捨てますよぉ?」

「ぐいぐい飲みます!!」


急いでグラスを手元に寄せる。

笑って肩をすくめた大佐が、グラスをこちらに向けて掲げた。
一瞬ぽかんと眺めてから、その意味に気づいて俺も慌ててグラスを持ち上げる。

ふたつのグラスが、かちんと澄んだ音を立てた。



それからしばらく二人で静かにグラスを傾ける。

いや、俺の場合は、どうやって話を切り出すかという
当初の問題に思考が舞い戻った結果の沈黙だったのだが。

タイミングに悩みつつ、やっぱりもったいなくてお酒をちびちび飲んでいると、
すぐ傍から聞き慣れた声が響いてきた。


「大佐だけじゃなくてまで飲んでるんだ、めっずらし〜」


反射的に声のしたほうを向くと、アニスさんが隣でカウンターに頬杖をついて、こちらを見上げていた。

いつのまに、と驚く俺に大佐が呆れた様子で首を横に振る。
俺の反応が軍人としてどうかってことだろう。すみません、別のことで頭がいっぱいで。


「アニスは自由行動を満喫するんじゃなかったんですか?」

「私はティアに気を利かせてあげたんですぅ。
 そういえばならあそこでミュウと一緒になってルーク達と行くって言い出すかと思ったけど、大丈夫だったね」

「オ、オレだってそこまで野次馬じゃないですよ!」


大佐と話す時間を確保する方法を考えるのに必死でそちらに意識を割く余裕がなかったのもあるが、
余裕があったとしてもさすがに今回は遠慮していたと思う。……たぶん。


「ティアに、ね。酷なような気もしますが」


そこで大佐がぽつりと呟いた言葉に、俺はふと息を飲んで俯いた。

ルークに残された時間はあとどれくらいなのだろう。
近い未来、確実に訪れる別れを知りながら思い出を重ねることは、
大佐の言うとおり酷なのかもしれないけれど。


「……それでも」


それが、どれだけ届かない願いであったとしても。


「だいじょうぶです。
 オレは大好きな人達となら、一緒にいるだけで嬉しいんですよ!」


だからきっと、二人だって。


そう言外に込めて力強く言い切った俺に、大佐は何も言わずに苦笑して、
アニスさんは何故か、じとりとした目で俺達を睨んだ。


「大佐もも、何か隠してるでしょ」

「いえ。何も」


俺がぼろを出すより先に、大佐が涼しい顔で否定する。

アニスさんはちっとも納得していなさそうだったが、
「まぁいいや」と意外にあっさり話題を切り替えてくれた。


「ところで大佐は、ヴァン総長を倒したらどうするんですか?」


その問いに、また軍属としての生活に戻るということをまず上げてから、
大佐はごく短い沈黙を挟んでさらに言葉を続けた。


「帰ったら改めてフォミクリーの研究を再開したいと思っているんです」


それは俺も初めて聞く、“未来”の話。
思わず目を見開いた俺のことを一瞬だけ見て、大佐はゆっくりと瞼を伏せる。


「……レプリカという存在を、代替え品ではない何かに昇華するために」


大佐にとってのレプリカは、ずっと罪の象徴だった。
きっと俺を生かしてくれた理由のひとつもそこにあったはずだ。

過去の過ちを忘れないために。自分で自分を赦さないための戒めとして、
罪そのものと言えるレプリカを―― 俺を、目の届くところに置いた。

俺は一緒にいられるだけでよかったから、たとえ最初の理由が何であっても構わなかったけど、
わざと傷をえぐるような大佐のやり方がどうにも哀しくて、寂しかった。

きっと一生、大佐が自分を赦すことはないんだろう。
俺があのひと達を泣かせてしまったことを、絶対忘れることがないように。

だけどレプリカという存在に『罪』以外の形が与えられたなら。

レプリカが―― 俺が、ほんの少しでも『希望』の意味になれるなら。


「ジェイド、さん」


それは、とてもとても、すごいことだと思った。


「……うん、是非それやってください。イオン様も喜ぶと思う」


ぼたぼたと涙を滴らせる俺の背を、アニスさんがあやすように叩いてくれる。


「アニスは教団を立て直すんですね」


手の甲でごつりと俺の頭を小突いたジェイドさんが、尋ねるというより確定している事実を確認するみたいに言うと、
アニスさんは「気づいてました?」と悪戯っ子みたいな顔で笑った。

玉の輿は諦めて自力で初代女性導師になるのだというが、
なんだろう、アニスさんなら最終的にどっちも叶えてしまいそうな気がする。


は?」

「へっ?」

「だからぁ〜、ヴァン総長倒したあとだって。
 どうするの? やっぱ大佐の補佐?」

「……オレは」


軍服の袖で目元をぬぐいつつ、口を開く。


「――レプリカの人達に、帰れる場所をつくってあげたいです」


するとさっきからどう切り出そうかずっと悩んでいた話の始まりが、
拍子抜けするほどあっさりと、音に変わった。


「へえ〜。それってどういう感じで、」

「さてアニス、そろそろ宿に戻ったほうがいいですよ」


ジェイドさんの言葉でふと気が付けば、外はだいぶ暗くなってきていた。
店内は来た当初よりも酔っぱらった男達で賑わっている。

アニスさんならそのへんの荒くれくらい楽勝で倒せるだろうけど、
やっぱり女の子だし、あまり長居するのは良くないかもしれない。


「ここからは大人の時間です。お子様は早く帰りなさい」


いつもの笑みを浮かべて余裕たっぷりに言ったジェイドさんに、
アニスさんは不服そうに頬を膨らませた。


「ぶー。そしたらなんか十歳児じゃないですかぁ」

「まあ頭はさておき体は二十五歳だからいいんじゃないですか?」

「あ、でもオレそろそろ十一歳になると思います!」


自分がフォミクリーで作られた具体的な日付を知らないのでおそらくだが、
“オレ”としては近々 十一年目に突入するはずだ。


「どのみち未成年じゃん……まぁいいけど。
 それじゃ、大佐もも、おやすみなさ〜い」




ひらひらと手を振ったアニスさんが酒場から出ていくのを見届けたあと、
俺は荷袋の中から一冊の絵本を取り出して、カウンターの上に置いた。

触媒探しの途中、ケセドニアの露天で買ったアビスマンの絵本だ。
その表紙に手のひらを置いて小さく息を吸う。


「ジェイドさん」



そして、言った。



「この戦いが終わったら、
 オレをジェイドさんの直属部下から外して下さい」