(――うたがきこえる)
【Act92-ただいまの約束。】
とても長くて、あっという間の旅だった。
怖くて、
つらくて、
哀しい旅。
楽しくて、
うれしくて、
温かい旅。
『ごめんなさい、連れがあんな態度で』
『ほんとに臆病ね。……私は平気よ、だから泣かないで』
『ルークはあなたに謝ってほしくて怒ったわけでは、ないと思うわ』
ティアさん。
『チッ、お邪魔虫が』
『暗くなったらそれこそ空気重いじゃん』
『……ご飯は、のオゴリだからね』
アニスさん。
『よろしくな、』
『喧嘩ってお前、ハハッ、そっかそっか!』
『お前ももう、自分の好きなもの、見つけてもいいんじゃないか』
ガイ。
『その頭の悪そうな信託の盾や無愛想な信託の盾や、
臆病そうなマルクト兵士より役に立つはずですわ!』
『私は、の話が聞きたいのです』
『恐がりで、涙もろくて、やさしい……私はそんなが“大好き”ですわ』
ナタリア。
『頭を冷やしなさい』
『食べないなら、捨てますよ』
『行けますね』
ジェイドさん。
『なんで俺が謝るんだよ』
『俺たち友達なんで!』
『ケンカは両成敗、なんだろ』
ルーク。
――それはとても
とても たいせつな、旅でした
*
上階から響いていた戦闘の喧騒が止み、息が詰まるほどの重圧が消えた。
足下にいたミュウが駆け出した気配を感じながら、
俺は大階段を背にする形で、剣の柄に手を添えたまま、その場にとどまった。
ミュウと入れ替わるようにひとつ、足音が降りてくる。
「行かなくていいんですか」
その問いに、首を横に振って答えた。
「オレの役目はまだ終わってませんから」
退路を確保すると言った。
だからみんながここを通り過ぎるその時まで、動くわけにはいかない。
「貴方も大概、融通のきかない性格ですねぇ」
“貴方は”ではなく“貴方も”と言った上司は、
そのまま俺の横を通り過ぎて、振り返らずに歩いていった。
ふたつめの足音。
ガイが労うように俺の肩を叩いて行った。
みっつめの足音。
アニスさんは俺の背中に一度抱きついてから、ぐいと目元を拭ってまた歩いていった。
よっつめの足音。
ナタリアは「よろしいんですの?」と言って気遣わしげに俺を見る。
頷いて返すと、哀しげに目を伏せながら離れていった。
いつつめの足音。
腕にミュウを抱いたティアさんが、俯いたまま、静かに俺の横を通り過ぎる。
むっつめ。
むっつめの足音は、しなかった。
握りしめていた剣の柄から、するりと掌が離れて落ちる。
地響きが大きくなった。
エルドラントは、もうすぐ崩壊するのだろう。
足に伝わる振動に促されるようにして後ろを振り向く。
――上へ向かうための長い長い階段はすでに、中程から大きく、崩れていた。
そちらへ踏み出しかけていた足をゆっくりと引き戻し、背を向けて歩き出す。
少し歩調を早めて先に行ったみんなの後を追えば、
思いのほか、すぐに追いつくことが出来た。
そのまま青い軍服の隣に並ぶと、静かな声が空気を揺らした。
「胸は貸しませんが、見ないふりくらいならしますよ」
「え?」
「泣いたらどうですか」
こちらを見ないまま告げられた言葉に目を丸くする。
「泣くなって言われたことはたくさんありましたけど、泣けって言われたの初めてだ。
なんだか不思議な感じがしますねぇ」
しみじみと呟けば、その瞳がようやく俺を捉えた。
細められた赤を見返して微笑む。
「泣きませんよ」
そっと目を伏せて、上を向いた。
「……泣きません」
薄く瞼を開ければ網膜に染みつくような夕暮れ。優しい赤色。
足を止めずに歩き続ける俺の頭に触れた手は、すぐに離れた。
それと同時に歩調を速めて先に行ってしまった背中に、
何か声をかけたいなと思ったけれど、何も言葉にならなかった。
「ジェイドさん」
だから、ただ色んな気持ちを込めて、大好きな名前を呼んだ。
離れていく背を追って地面を蹴る。
後ろは振り返らない。その必要はなかった。
だって俺がルークと交わしたのは、別れの言葉なんかじゃない。
ルークにはそんなつもりはなかったかもしれないけど、
それでも、俺のとても一方的な祈りにも似た、それは。
“いってらっしゃい”
“いってきます”
――――「ただいま」を聞くための、約束。
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