【Act81.2-最初のレプリカ VS 最後のレプリカ(中編)】
ゆらゆらと妖しげに揺れる異形の羽。
細い月みたいに弧を描いた口元。銀色の髪。
白くかすむ空気の中に浮かぶその姿は、どこか現実感がなく――いや、ていうか。
「お花畑のお姉さん!!?」
大佐のスパルタ訓練とかで意識が飛んだ後、
夢の中のお花畑でユリア様と一緒に俺を迎えてくれる“銀色の髪のお姉さん”に、そっくりだった。
「お花畑って……」
「やめろ聞くなルーク」
なんか怖いから、とガイがルークを制止する声を意識の端に聞きつつ、
俺は混乱する頭で、風になびく銀の髪を見つめていた。
羽とか表情とか明確な差異はあるけど、顔の造形なんかはまるで生き写しのようだ。
あれがネビリムさんのレプリカということは、えーと、あれ?
「どうしてお前がここにいる」
低く押し殺した大佐の声が耳に届いた。
散らかっていた思考が一気にそちらへ集中する。
同じように大佐を見た“彼女”が、愉快そうに目を細めた。
「お久しぶりね、ジェイド。
昔はあんなに可愛らしかったのに、今は随分怖そうな顔をしているのね」
「――答えろ」
まあ怖い、とおどけて笑った彼女は、レムとシャドウの音素を譜術士から盗んでいたら
こんなところに封印されてしまったのだと肩をすくめる。
セントビナーでマクガヴァン元帥が語ってくれた、
譜術士連続死傷事件の話が脳裏をよぎった。
一個中隊を壊滅させた譜術士を倒しきれず、ブラッドペインと対の武器を使って封じたと、
その譜術士はまるで魔物のようだったと、そう言っていた。
まさか、とルークが目の前の存在を睨む。
「この触媒があれば私は完全な存在になれる」
だがそれに構わず恍惚と言葉を紡ぐ彼女の視線は、ただ一人の人間に注がれている。
半歩ほど後ろにいる俺からは、その人の表情を伺うことはできなかった。
「ねぇジェイド。あなた、私を捨てて殺そうとしたわね。
私が“不完全な失敗作”だから」
青い軍服の背中を眺めていた俺の指先が、ぴくりと震える。
思い出すのは無機質な部屋。鼻を突く消毒液のにおい。
感情の見えないたくさんの虚ろな目。その中の自分。
黒い光と、消えていく人たち。
「でももう完全な存在よ。そうでしょう?」
何が完全だ、と彼女の言葉を否定するルークや
ディストの仇は取るとそれに続いたアニスさんの声が聞こえる。
そしてぼんやりと彼女を見上げていた俺の視界を遮るようにして
目の前に立ったその人の色が、記憶の中と重なった。
「いけませんね。私としたことが、取り乱してしまった」
青い服と、金茶の髪と、ここからは見えない赤の瞳。
だけどあのとき後悔に滲んでいた赤色が今、
強い光を宿して彼女を見据えているのが分かる。
大佐は空気を薙ぐように腕を振ると、現れた槍を掴みとった。
「この際あなたが完全かどうかはどうでもいい。
譜術士連続死傷事件の犯人として、あなたを捕らえます」
「あら、面白いわ。それなら試してみましょうよ」
その言葉と同時に増した威圧感に、みんなが素早く武器を構える。
俺もはっと意識を引っ張り戻し、足下のミュウを抱きあげて荷物袋の中に隠した。
そのままじりじりと後退して、ミュウの入った荷物を離れた岩場の影に置く。
ここにいれば大丈夫なはずだ。たぶん。
出来れば自分もこのまま岩影に隠れていたいけどそうもいかない。
みんなの側に戻るべく、剣の柄に手をやりながら体を起こしかけたとき。
異形の翼を広げた“魔物”が、狂気の滲む目を爛々と輝かせて笑った。
「――勝つのは、私だけどね!」
ぶわりと膨れ上がる音素。
大佐が発した鋭い警告の言葉が遠くに聞こえる。
瞬間。
「 ビッグバン 」
全ての感覚が、白に染まった。
ゆっくりと、瞼を押し開ける。
体の側面に当たる冷たい感触が地面であると、
自分が倒れていることを認識するのに少しかかった。
なんでこんなところに転がっているんだっけとぼんやり考えて、
一番手前にあった記憶を引っ掴んだところで はっとする。
「ミュウはっ」
安否を確認しようと急いで上半身を起こしたが、
それより先に目に飛び込んできた光景に、愕然とした。
地に伏して動かないみんなの姿。
その中心に悠然と立つ、 “魔物”。
岩を支えに立ち上がり、
おぼつかない足取りでその影から歩み出る。
「ジェイド、さん? ……みんなっ」
どくりどくりと心臓が大きく脈を打つ音が響く。
震える声で呼んだ名前に反応して振り返ったのは、彼らではなく、揺れる銀色の髪。
狂気の中に哀れむ色を乗せて、彼女は微笑んだ。
「あら、直撃しなかったのね。
意識がなければ痛みも感じなかったでしょうに」
その視線がすいと出口のほうを示す。
「ねぇ。 私、気分がいいの。今なら見逃してあげてもいいわよ」
頭のてっぺんから一気に体温が引いていくのを感じながら、
告げられた言葉の意味を緩々と考えた。
今なら逃げられる。
この圧倒的な恐怖から、逃げることが出来る。
俺が。
俺、だけが。
見えない何かに引っ張られるように歩き出す。
ふらり、ふらりと何歩か出口のほうへ進んだ俺は、
“彼女”を背にする位置でゆっくりと足を止めた。
戻る道を真正面に見据えて、小さく息を吐きながら喉を震わせる。
「オレはずっと、アンタのことが嫌いだった」
零れ出た声は思った以上に強い感情を伴って響いた。
あら、とそれに相槌を打つ、子供の強がりを笑うみたいな声色にぐっと拳を握りしめる。
ネビリムさん。ネビリム。
被験者でもレプリカでも変わらない。
それはジェイドさんを哀しませる名前だった。
あの人に辛そうな顔をさせる、名前。
だから嫌いだった。大嫌いだった。
……でも、それと同時に好ましかった。羨ましかった。
ジェイドさんが尊敬する人。
ジェイドさんの、特別な人。
居なければよかったと思わないのは、
それが俺とジェイドさんを出会わせてくれた存在でもあったから。
彼女の存在が、思い出が、確かに今のジェイドさんの一部であるからだ。
否定なんて出来るわけがない。
だけど。
「……過去のことは、どうしようもないさ」
早鐘みたいな鼓動に浅くなった息を逃がす。
舌が もつれそうになる。声も指先もとっくに震えていた。
「けどな」
思いきり掴んだ剣の柄が鞘とぶつかって
がちゃりと派手な音を立てるのを聞きながら、一息でそれを引き抜く。
恐怖でうまく動かない体を無理やり反転させて後ろを振り向いた。
踏みつけた足下の雪が、きしんだ音を立てる。
“戻る道”を背に。
今俺が正面に見据えるのは、銀の髪。
「ジェイドさんの未来まで……――アンタにくれてやる気はないんだよ!!」
剣を突きつけて、震えたままの声で、それでも言い切った。
心臓がうるさすぎて頭がガンガンする。
体の中身が全部ひっくりかえりそうだ。
涙で目の前が滲む。こわい。逃げたい。
小刻みに揺れる切っ先を、彼女が不思議そうに見返してくる。
「そんな震える手で剣を握って、どうするつもり? あなただけよ?」
なぜ逃げないのかと言外に問いかけてくる目は、まるで少女のように真っ直ぐなのに、
身にまとう音素の渦がそんな錯覚を許さない。
対峙しているだけで分かる残酷なほどの実力差。
その圧力に遠のきそうになる意識をつなぎ止めながら、問いの意味を考える。
何故。 なぜって。
頭も要領もよくない俺が、一度に抱えられる理由なんてひとつしかない。
今ここにいること。
あんたと向かい合っていること。
果ては譜術を覚えようと思った理由さえ、元はたったひとつの、願いから。
「……まもるんだ」
たいせつなひと。大切なひとの、大切なもの。
目の前にある ほんの小さな日常を。
“誰か”じゃない。
この手で。
この剣で。
「―― オレがみんなを、守るんだっ!」
恐怖にかすれる声で啖呵を切って、精一杯 相手を睨みつける。
すると彼女は愉快そうにその目を細め、優雅に羽を広げた。
「フフ、アハハ! いいわ、遊びましょう!」
笑い声に呼応するように広がる音素の波。
その振動がびりびりと皮膚を打つ。
汗が滲む掌で、俺は強く剣の柄を握り締めた。