【Act62.2-にわとりは夢を見るようです。】










「で、謝れたんですか?」

「……まだです」

バカ


ぐうの音も出ません。


翌日。ジェイドさんを迎えに行ったバチカルの入り口で開口一番の問いを受け、
そっと顔をそらして零したノーに返されたいつになく単刀直入な罵倒に、俺は何も言えず肩を落とした。


謝るって決めたし心の整理もついたけど、やっぱりタイミング。
これがまた一度逃してしまうと中々掴めないものだ。

扉の隙間からこそりと覗き見たルークは、たぶん瘴気中和のことだろうけど、何か考え込んでるようでどうにも話しかけ辛くて、
持って行ったカレーは結局近くにいたペールさんと一緒に食べた。


「な、なんか朝もやっぱり考え事してる感じだったから、声掛けにくくて」

「言い訳しない」

「………………はい」


だらだらと伝う冷や汗をそのままに頷くが、なお突き刺さる物言いたげな視線を感じて、
グランコクマでの話し合いはどうでしたかと無理やり話をそらす。

するとジェイドさんは、僅かに肩をすくめて息をついた。


「ファブレの屋敷で話しましょう。 何度も説明するのは面倒ですから」


そう言って身をひるがえした軍服の背を眺めて、ああ、と思う。


(やっぱり)


自分はジェイドさんに相手にして貰いたかったんだとアッシュに教えられたとき、
さらにもうひとつ、気付いたことがあった。

今までだって――自分で言うのも哀しいが――特別相手にしてもらっていたわけではないのに、
どうして突然 そんなことを思ったのか。その理由はたぶんこれだ。


(やっぱり、怒らない)


思い起こせば今回の旅が始まる少し前からだったろうか。
毎日のようにくらっていた譜術や槍や蹴りが飛んでこなくなったのは。

打撃のほうは“回数が減った”ということだけど、譜術に至っては本当に、ここしばらく一度も受けていない。


「あの、ジェイドさん。 聞きたい事があるんですけど」


意を決して声を掛ける。
立ち止まり振り返った彼はその赤い目に俺を映し、「なんです」と静かに言った。


「どうして最近 オレに譜術使わないんですか?」

使ってほしかったんですか?

「い、いや! 違いますよ!? 違いますから!!
 だからそんなおかしい趣味の人見るみたいな目で見ないでください違いますんで!」


真剣な顔で尋ねた俺に、一瞬目を丸くした大佐が眉根を寄せたと思うや否やの発言を必死に否定する。
いくらなんでもそのような趣味はないのでそんな微妙に嫌そうな顔しないでください。

これ以上 首を横に振っていたらきっと倒れるという寸前で動きをとめ、ちらりとジェイドさんを窺い見た。


「どうしてだろうって、ちょっとだけ気になったんです」


ちょっと、の部分は大分嘘だったが、他に言いようもなく、それだけを呟いて所在無く後頭部をかいた。

譜術を使ってほしいわけではないし、怒ってほしいわけでもない。
だけど今まで当然のようにあったものが突然無くなるのは、なんだかどうにも置いていかれてしまったような。


さみしい、ような ――。


「唸れ烈風。 大気の刃よ、切り刻め」

「はい?」


思考の切れ間に割り込んできた聞き流せない音の羅列と、
感じ慣れた音素の動きにぎくりと身をこわばらせる。


「ちょ、いやあの、ジェイドさん、え?」


視界の先で、ジェイドさんが真顔のまま、俺のほうに腕を向けた。


「タービュランス」

「っ何だか分からないけどごめんなさいぃい!!」



自分の周囲で瞬間的に高まった第三音素に、後の衝撃を想定して頭を抱え、半泣きで身を丸めて蹲る。

だが、五秒経とうと十秒経とうと、一向にそれはやって来なかった。



「……あれ」


冷えた石造りの地面から そっと顔を起こす。
頭は庇ったまま、片方だけ開いた目で周囲を探るが、これといった異変はない。

名残のつむじ風に髪を揺らされることさえない様子に、ようやく現状を得心してそろそろと体を起こした。


「びっくりしたぁ。 今は味方識別マーキングついてたんですね」


譜術は確かにこちらへ向けて発動したのに何もないということは、今の俺には味方識別がついているのだろう。
じゃあさっきのタービュランスは単におどかすためのものか。

もう止めてくださいよ、といつもの調子で泣き言を零そうとしたところで、
ジェイドさんもいつもの仕草で眼鏡を押し上げた。


「まあ別に今だけじゃありませんけどね」


先ほどから変わらぬ真顔のまま しれっと零された言葉。
とっさにそれが理解できず、相手の顔を見返す。

その様子を見た彼が僅かに口元を緩めた。


「もう外しませんから、戦闘中にこちらの術をかわす心配はしなくていいですよ」


言うが早いか今度こそ身をひるがえしたジェイドさんは、
目を白黒させる俺とは正反対に、まったくもっていつも通りの整った重心でまっすぐ歩いていく。


「外さないって、え、え!?」


はっとしてすぐ後を追い、小走りで隣に並んだ。
ジェイドさんはこちらを一度 横目で見たが、すぐにまた視線を前に向けてしまう。

頭はぐるぐると混乱しきり。
自分でも八の字に下がっていると自覚のある眉で、半ば呆然とその横顔を見上げた。


「だってジェイドさん今まで、」


どう続けていいか分からずに閉ざした言葉の先は、おそらく口にするよりも正確にジェイドさんに伝わったのだろう。
彼はほんの少しだけ苦笑するように口の端を歪めた。


「そうですね。
 貴方のものは……解除している事のほうが多かったかもしれません」


ジェイドさんにとって味方識別の有無がどういう意味を持っていたのか、俺には分からない。
でも、多分それも“チャンス”の一環だったんだ。


逃げるチャンス。
自由になるための、チャンス。

全てを忘れて生きて行く道をあえて選ばせようとするかのようなそれが、
俺はいつも腹立たしくて、いつだってもどかしくて。


(でも、今)


ジェイドさんはそれを外さないと言った。


もう外さない。
逃げ出すチャンスは、もうくれない ―― と。


「…………っ」


その繋がりに気付いて、ぱっと顔を明るくする。
きらきらと輝く瞳で彼の人を見やった。


「ジェイドさぁあああぁあ――!!」

「エナジーブラスト」





薄く煙を立てながら城下の石畳に突っ伏すひとりの男を、バチカルの人々がざわめきつつも遠巻きに避けて行く。

術の発動から約三十秒後、俺は涙目でがばりと身を起こした。
その勢いに周囲から軽い悲鳴が零れる。


「味方識別ついたんじゃなかったんですか!?」

。 味方識別とは何ですか?」

「こ、効果範囲内にいる味方を攻撃対象から外すものです!」


突然 譜術練習のときのような口調で問われて、条件反射で姿勢を正して答える。
結構、といかにも上官らしい仕草で頷いた大佐は、次の瞬間 にっこりと笑った。


「あくまで“範囲内にいる味方”を攻撃対象から外すものなわけですから、
 “攻撃対象が味方”の場合なんら問題ありません、ええ」


語尾にハートマークがつきそうな、それはそれはきれいな笑顔でした。
簡単に言うけどそんな器用なこと出来るの大佐だけですきっと。

いや。ていうかそれって。


「今までと何も変わらないってことじゃ……」

「少なくとも混戦状態のときに巻き添えをくう事はなくなりましたよ」


さっぱりとそう言い切った上司に、俺は微笑のまま「ですね」と返すことしか出来なかった。
頬をはらはらと滴る涙はきっと気のせいだ。


はっはっは、と物凄く聞き慣れた人の悪い笑い声にはなんとなく安心しながらも目頭を押さえていると、
数歩先を行った大佐が振り返らずに足を止める。


「ただ、観念しただけですよ」


その穏やかな響きを耳にして思わず顔を上げれば、見慣れた青い軍服の背中。
肩越しに振り返った彼の顔に浮かぶ、めずらしい笑い顔に目を見開いた。


「どこかの子供が二人も自分と向き合おうとしているのに、
 いい年をした大人がいつまでもメンツにこだわってるわけにはいきませんから」


それはなんだかんだと陛下に言いくるめられた時に見せるものとよく似てる。
あきらめたような、でもどこか清々しさの覗く苦笑。


“いつもの笑顔”じゃなくて、“ジェイドさん”の――……。









もう振り返る気はなさそうな歩き方で颯爽と歩いていく彼の七歩後ろを歩く。




この情けないまでに熱くなった顔を、

ファブレ邸に着くまでにどうにかしなければと、真剣に考えながら。







味方識別が完全固定したことがようやく本人の知れるところに。
久々のマジ照れアビ主。


アビ主の反抗期、その奥にあったルークへの劣等感の、さらに奥。
ガイや大佐や本人さえも気付かなかった根本的要因は、かいつまめば生まれたばかりの弟に掛かりきりのパパママを見る園児兄の気持ち。

ミュウがブタザルって呼ばれなくなったのを寂しがるように、
譜術でのお仕置きがなくなって怒られることが少なくなって寂しいアビ主。

ジェイドからしてみれば距離が縮まったからこそ今までの手段じゃなくて、
ちゃんと向き合って話をしようとしているのですが、何も分からないアビ主としては深層意識で寂しかった。