【Act57-ああ憧れのフェレス航路?】








ルークが見つけた海を動く巨大なもの。
それは戦艦でも、ましてや一角鯨でもなかった。


巨大な廃墟群を背に海を漂うこの孤島は、かつてホドの対岸にあったという。
活気ある港町にたくさんの人々が生活していた。

フェレス島。

それに間違いないと、ガイが目を見張る。
しかしホド消滅による津波の影響で潰れたというここの建物は、
どれも朽ちて久しいようで、美しかったのだろう街並みは見る影もない。


崩れかけた建物を眺めて歩いていると、ふと耳に音が届いた。

まさかの幽霊かと一瞬身構えたが、どうやらみんなにも聞こえたようで、
ティアさんが視線を厳しくして「誰かいるわ」とささやいた。

耳を澄ませる。 聞こえてくるのは、小さな泣き声だった。
するとアニスさんが、何かに気づいたように走り出す。


その先には大きな屋敷。

扉の前に誰かがうずくまっている。隣に何か巨大な影がもうひとつ。
霞のように掛かる瘴気のせいで見えづらい視界を凝らした。

そうしている内に俺たちもアニスさんに追いついて、その姿がはっきりと映るようになる。


アニスさんの足音を聞きつけた相手がすばやく身を起こした。
巨大なライガが、彼女を守るように立ちはだかる。


「……ここはアリエッタの大切な場所!
 アニスなんかが来ていい場所じゃないんだから!」


妖獣のアリエッタ。

泣きそうな女の子の叫び声に頭がぐらりと揺れたような気がした。
眉を顰め、片手でこめかみを押さえながら、どうして今更、と思う。

ずっと小さな女の子の泣き顔や怒鳴る声が苦手だった。
それは被験者の妹さんを思い出すからで、それでもあの旅の後からだいぶましになっていたのに。

痛む頭に、アリエッタの声が届く。

ここは、フェレス島は彼女の生まれ故郷なのだということ。
津波で家族を亡くした後ずっとライガと共に生きてきたということ。
イオン様とヴァンのために、戦ってきたということ。


だけどイオン様はもういない。

被験者である導師イオンも。
七番目のレプリカであった、あの人も。


「仇を取るためにも、アリエッタは負けないから!」


涙の滲む目でそう叫んで、アリエッタはライガに乗り、飛び去って行った。
それを見送った俺は、鈍い重さの残るこめかみを軽く指で慣らしながら、ひとつ溜息をつく。


、どうしたの?」

「はいっ!?」


突然かかった声にびくりと身を弾ませて振り返れば、不思議そうに俺を見るティアさん。
なんでもないと首を横に振ると、ティアさんは「そう?」と小首を傾げて話を切り上げてくれた。

そういえばこの間バチカル城の前でもナタリアとこんなやりとりしたなぁ。
ここのところそんなに呆けているだろうかと、眉尻を下げて後頭部をかく。


アリエッタの話を聞く限り、どうやらここはヴァンが使っていた施設のひとつらしいので、
もう少し調べてみようと歩き出したみんなに続いてゆっくりと足を踏み出したとき、
ふと目を眇めてこちらを見ている大佐に気づいて、ぴたりと頭をかいていた手を止めた。


「…………、」


俺は一瞬口を開きかけたが、すぐに閉じて視線を泳がせ、やがてツイとそらす。

気づかなかったふりをしてまた歩き出したものの、きっとばれているのだろうなと、
背中に突きささる視線を感じながら瞑目して、また溜息をついた。


本当に溜息で幸せが逃げるというなら、俺の幸せは目下、国外逃亡中だ。




屋敷の中に入ると、すぐに大規模なフォミクリー装置を発見することができた。
大佐いわく、これを止めれば第七音素の減少が少しはましになるかもしれないという。

装置の停止に同意したルークが、これ以上レプリカを増やすべきではないと、俯いた。


「レプリカなんて俺一人で……俺達だけでたくさんだ。
 そうだろ、

「え……あ、うん」


反射的に頷いてから、胸に引っ掛かるものを感じて、少し考える。

哀しげな表情。 辛そうな声。
ルークの言葉は、まるで自分の存在が間違いなく在ってはならないものであるように。


レプリカである己の全てが、間違いで、あるように。


「……ル、」

「やめろ」


ルークの名を呼ぼうとした俺の声に、鋭い制止が被る。
声がしたほうへ顔をやれば、この場所を目指し階段を降りてくる数体のレプリカ。

ガイの亡くなったお姉さんのレプリカであるという女性が、
感情の読めない目で、それでも確かにこちらを睨みつけていた。


「どうしてそんなことをする。
 我々の仲間が誕生するのを、どうして拒む?」


装置を壊す、という話をしていたのを聞いたのだろう。
自分たちの邪魔をするなと言う彼らの中には、イエモンさんのレプリカもいた。

思わず声をかけそうになって、すぐに困惑する。

だって、なんて呼べばいいんだろう。彼はイエモンさんじゃない。
痛いほどにそれを分かっている自分が、あの人をその名で呼ぶことは出来ない。

そんなあの人をどういうふうに見ればいいのかすら。

そう考えた次の瞬間、目を見開いた。


「……そっか」


自分にしか分からない程度の小さな声で独りごちる。
皆の会話を耳の端に聞きながら、ゆっくりと天井を仰いだ。


(そういえば、オレ、名前いってないや)


脳裏に浮かぶのは、ひとりの女性と、ひとりの女の子の姿。
あの人たちも、被験者の家族のひとたちも、こんな気持ちだったんだろうか。


緩々と顔の向きを戻した先で、生まれた以上 被験者に遠慮をすることはないとレプリカが言っていた。

もうほんの半年も前ならば、俺はきっとあちら側だった。
同じ存在ならばどちらでもいいはずだと決めつけて、何がおかしいのかと首を傾げていただろう。


「傲慢なまでの生存本能……と言ってもいいわね。 もっとも昔のあなたにはあったものよ」

「そしてにはありすぎるものです。
 だから貴方達は足して二で割ればいいと言うんですよ」


ルークに少し彼らを見習った方がいい、と言った後、
静かにそう続けたティアさんの言葉尻を継いで、大佐が溜息混じりに零す。


それが出来るなら苦労はしないのだと俺が浮かべようとした苦笑は、
突然の爆音と共に激しく揺れ始めた地面によって、うやむやのままに消えた。









強すぎる自己犠牲と強すぎる生存本能。

代替品(かわり)として望まれた者と、代替品(おなじ)であることを否定された者。