マルクト軍本部。

俺は磨かれた廊下を真っ直ぐに進んでいた。
こつんこつんと早いテンポで響く足音が人の声のように聞こえる。

こつんこつん。 軽快なトーン。
こつんこつんこつん。 ちょっとからかうような、笑み混じりの声。


「自主練もいいけどさ、そろそろ勇気だしなよっ」


こつん。

脳裏に鮮明によみがえった言葉に一旦 足を止め、床に映る自分を見つめた。
そこにいる自分が突然ヒーローみたいになっているはずもなく、いつもどおりの情けない顔だった。


そう。 俺は変わってない。

タマゴから生まれたヒヨコが、すぐニワトリになれるわけじゃないように。
でも少しずつ歩んでいくことで、ヒヨコがニワトリになれるように。

ぐっと拳を握り締め、長い長い廊下を蹴りあげて、走り出す。


そう、俺は今日、勇気を出すんだ。






【Act47-あなたに手紙を送ります。(前編)】










お願いしたいことがあって、その日は朝から彼の人の姿を探していたのだけど、
いつもならすぐ見つかるはずの背中が一向に見つからなかった。


そんなこんなで名前を連呼しながら軍部の中を駆けずり回っていたら、
途中でフリングス少将と行きあい、大佐は譜術用の鍛錬場にいるはずだと教えてもらったのだが、
あまり大佐と結びつかない場所名に内心首をかしげるばかりだった。

しかし話を聞けば、少将は俺を見かけたらそこに来るように伝えてほしいと大佐に言伝られたとのこと。


今度は冷や汗が額を伝うのを感じる。
大佐がわざわざそんな面倒な方法で俺を呼び出すとなれば、あまり良い予感はしなかった。

久しぶりの特別訓練かと逃げ腰になりかけたけど、一度振り絞った勇気が、明日もまた絞れるとは限らない。
むしろ今日をからぶったら そこで枯渇する感がひしひしとする。



勇気だしなよ、というアニスさんの言葉を自分に言い聞かせながら、
それでもやっぱり怖いのでごまかすように全力疾走で、俺は今 鍛錬場に向かっていた。

今日は、今日こそは。 絶対に。

走ってきた勢いで押しあけてしまった扉が大きな音を立てて開ききる。
肩で息をしながら辺りを見渡せば、いつも数人は譜術の練習をする兵がいるはずの鍛錬場は、がらんと静まり返っていた。


「だ、誰も、いない、なんて、めずらし……」


全力疾走が尾を引く呼吸を落ちつけながら、中に足を踏み入れる。
そのときふいに嫌な予感が皮膚を掠めた次の瞬間、鋭い風の流れが目の前を通過していった。
「ヒぃッ!?」と裏返った声が喉からあふれる。

思わず尻もちをついた格好のまま、一気に鼓動を増した心臓を手で押さえて涙目になっていると、
先ほどのものが飛んできた方向からカツリと足音が聞こえてきた。


「いや〜。 遅かったですねぇ、

「ジェイドさん!」


にっこりといつもの笑顔を浮かべた大佐は、
手にしていた厚めの本をもう片方の手にぽんと押しつけながら、俺の目の前まで歩いてくる。
そして二メートルほど離れたところで足を止めた。


「な、な、なんでいきなりタービュランスなんですか!!
 やっぱりここのところ怪我してたせいであんまり譜術使わないでくれていたのが完治した今に!?」


借金のように積もり積もる特別訓練。
利子がトイチで。 ああ怖すぎる。

鍛錬場の柱にひっついて泣く俺に大佐は呆れたように肩をすくめた後、ひょいと口の端を上げて笑った。
ちょっと意地悪そうな、でも面白がってるような、ジェイドさんにはめずらしい子供っぽい笑い方。

なんだろう、と首を傾げるより早く、大佐が口を開く。


「そういえば。 何か私に言いたいことがあったんでしょう?」


俺は勇んでここにきた理由を思い出し、ハッと柱に抱きついていた体をはがして大佐に向き直った。
その、その、と数回言い淀んだ末、再び拳を握り締める。

勇気だ、
うつむけそうになった顔を上げ、真正面から大佐の赤い目を見返した。


「ジェイドさん、オレに、譜術をおしえてください!!」


とうとう、言えた。
というか言ってしまった。

まさしく剣の達人にテーブルナイフの使い方を聞くような所業に、
いったいどんな失笑が戻ってくるのかと どきどきしながら大佐を見つめる。


「ええ。 それでは始めましょうか」


そしてあっさりと返された言葉に、俺は目玉が零れそうなほど目を見開くことになった。


「……へ?」


ジェイドさんは今なんと言っただろう。

目だけに留まらず、口さえぽかんと開けて固まった俺の前、
ジェイドさんは持っている本の背でトンと肩を叩くと、身をひるがえす。

もしかしたらまた からかわれているのかとも思ったけど、
その足が鍛錬場の中心に向かうのを見てあわてて後を追った。

これは、もしかして、本当に、ジェイドさんに教えてもらえる……?


だんだん現実が理解できてくると、すぐさま頬が熱くなってきた。
だってあのジェイドさんに譜術を教えてもらえるなんて、それこそ夢みたいだ。


「さて」


まさか本当に夢オチではあるまいかと自分の頬をめいっぱい引っ張っていたところ、響いた声にハッとして姿勢を正す。

ずっとずっと、自分には素質がないと決めつけていた譜術。
使えればと口先でばかり唱えながら行動に移さなかった俺。


そんな俺が譜術を覚えたいと真剣に考え始めたのは、あの旅の中だった。

第七音譜術士なんて贅沢は言わない。
それでも、ほんの少しでも出来ることが多くなれば、変われる気がしたんだ。

もどかしい思いをすることが、ほんの少しでも少なくなるかもしれない。
こんな臆病な俺でも助けられるひとが、ほんの少しでも増えるかもしれない。

ほんの少しでも、ジェイドさんの役に、立てるかもしれない。


深く息を吸って、吐く。
そして気を引き締めて見返した赤い瞳が、にっこりと笑みを浮かべた。


「それでは何でもいいので集めやすい音素で術式を構成してみてください」

「…………ええ!?」


生まれたてのヒヨコに「よし、生まれたね。さあ飛んでみなさい!」と言うような展開に思わず叫ぶ。

だって、もっと先に色々あるはずだ。
今のヒヨコでいうならもう少し成長を待つとか、いや、俺はもう結構 成長してるけど。
羽の動かし方を教えるとか、いや、どのみち想定してたのがニワトリになるヒヨコだったから飛べないけど。

何にしても今のジェイドさんはいろんな段階をすっ飛ばした気がする。


「い、いきなりそれはちょっと……。
 もっと基礎的なことから学ばないと駄目なんじゃないですか?」

「基礎は、もう十分でしょう?」

「え?」


するとジェイドさんは、さっきから小脇に抱えていた本をすいと取り出してこちらに向けた。

俺はその装丁を見て、あっと声を上げたあと、本を指しながらはくはくと空気をはむ。
あの若草色のくたびれた表紙は。


「そ、それオレのっ!?」


譜術の、本。

この間アニスさんから中級編を貰ったからあの初級編はしまって……というか隠しておいたはずなのに。
いったいなぜそれがここにあるんだろう。

ぐるぐると考え込む俺に、ジェイドさんはまた緩く笑った。


「隠し方が本当にお子様ですからねぇ。
 今まで気づかれてないと思っていたほうが不思議です」

「え? ええ? えぇええ!?」


何この衝撃事実。

同じ寮部屋の兵士仲間に知られるのも恥ずかしいからってわざわざ宮殿の資料室に隠して、
木を隠すなら森の中!と自信満々だった今までの俺が今恥ずかしい。


「というか本気で隠す気なら私の執務室で読んでる最中に寝るんじゃありません」


そういえば怪我してて執務室のソファで仕事してたとき、ジェイドさんが出かけた隙の休憩時間に読んでたかもしれない。
うっかり寝ちゃって、でも起きたときにはもう大佐は何食わぬ顔で仕事に戻っていたのでバレなかったんだと思っていた。
俺ほんと恥ずかしい。


「これだけ読み込んでいるならもう基礎は必要ないはずですよ。
 後は実践あるのみですかね」


ぼろぼろになったその本に視線を落とし軽くページをめくりながら大佐が言う。
やがてぱたんと本が閉じられた。


「やるからには、容赦しませんよ」


こちらをとらえた真っ赤な瞳が愉快げに細められたのに、目を輝かせて頷く。


「はいっ!」


嬉しさに目を伏せる瞬間、
その向こうで満足げに笑みを深めた大佐が、見えた気がした。










……そして俺はその日、
久方ぶりにユリア様のいるお花畑に足を踏み入れる事となる。







容赦しないといったら本当に容赦しない。


でも朝からいなかったのは、アビ主の変化を感じてそろそろ言いだすかなって考えて、
譜術 鍛錬場を一日だけ貸し切りにしたり練習付き合うのに仕事早めに片づけたりしてたからで(デレ)

わざわざ貸し切りにしたのはうっかり死傷者とか出さないためで
うっかり死傷者が出てもおかしくないくらいのスパルタ指導をするためです(キング・オブ・ツン)


ここで一句。
「ツンツンツン ツンツンときて もしやデレ?」

通常 人間の能力では発見できない。
それが大佐のデレ。 されどデレ。