【Act40-ケテルブルクに降るものは。】
ワイヨン鏡窟を出た俺達は、ひとまず一番近いシェリダンへ向かった。
そこでアストンさんに集会所を借りることが出来たので、
ちょうどいいと今後の話し合いをすることにした。
集会所に入る寸前、まだ惨劇の名残が立ち込めるシェリダンの町並みを、
腕にチーグルを抱いたがぼんやりと眺めているのに気付く。
否が応にも感じる重たい空気に、
俺も心臓のあたりがちくちくとしているのは分かっていたけど、
今の俺たちが街の人にしてあげられるのは、無事に外殻を下ろすことだけなんだ。
逃げるようにごめんなさいと謝ってしまいたい気持ちを押し込めて、
に声を掛けようと止めていた足の向きを変えかけたとき、
俺の横をさっとすり抜けて行った人影があった。
そしてその人物の右足が、目にも留まらぬ動きでの背中に当てられた。
要するに蹴りだ。
「ウェふ!」と奇妙な悲鳴を上げて顔から地面に倒れる。
見事というべきは、チーグルを抱いた手だけは上に持ち上げていた事だろうか。
赤くなった顔をそのままに涙目で振り返るの視線の先に、
たった今蹴りを繰り出したばかりの人物、ジェイド。
俺のほうから表情を窺うことは出来なかったけど、ジェイドは、いきますよ、と言ったようだった。
それにはこくこくと頷いて立ち上がる。
「何あなたまでボケッとしてるんですか」
「え、あ、うん。 ごめん」
横を通り過ぎるとき、呆れたように告げられた言葉に慌てて返事をしながら、
俺もの隣に並んで集会所の中に足を向けた。
「顔だいじょうぶか?」
「な、慣れてる、慣れてるし……!」
問いかけると、そう言いつつも顔面スライディングのせいだけじゃなく
滴っているような涙をそっと拭うに苦笑を返してから、
ちらりと先を行くジェイドの背中を見やる。
確か、ほぼ先頭で集会所に入っていったと思ったけど。
……もしかしてわざわざ戻ってきたんだろうか。
隣のと、前のジェイド。
二人を交互に見比べて、俺はキュッと眉根を寄せ、首をかしげた。
ベルケンドでめずらしく単独行動をしたティアは、
自分に瘴気が蓄積されるなら、同じくパッセージリングを使っていたヴァン師匠も同じだと思い、
もう一度だけ師匠を説得してみようと考えたらしい。
どれだけ酷い事をしようとしてたって、ティアにとって師匠はたった一人の兄さんだ。
そう簡単に敵だと割り切る事なんて出来っこないだろう。
だけどティアは、もう迷わないと言った。
たとえ師匠と戦うことになっても。
心配だったけど、ティアが決めたことなら何もいえない。
俺達は次のパッセージリングがある、ロニール雪山に向かうことに決めた。
ワイヨン鏡窟からつれてきたチーグルはアストンさんが預かってくれるという。
後でまた群れに戻すなりするとしても、今のところはこれで安心だ。
そういえば去り際に、あのチーグルを見て首をかしげていたを、
ジェイドがまた目を細めて見ていたけど、なんだったんだろう。
*
出発前に危険な場所だというロニール雪山の現状を
ネフリーさんに聞いていこうというジェイドの提案で、俺達はケテルブルクへ寄ることにした。
だけど知事邸に入るや否や、ネフリーさんが慌てた様子で駆け寄ってくる。
「お兄さん! ちょうどよかったわ!」
サフィールという人が広場で倒れて寝込んでいる、という話を聞いて、首をかしげる。
「サフィール?」
「ディストの本名です」
ジェイドがさらりと零した答えに、
アニスが、へ、と驚いた声を上げた直後。
「えええぇ!?」
隣から響いてきた叫び声に、俺はきんとする耳を手で押さえた。
全員が目を丸くして音の発生源であるを見やる中、
いつもなら涼しい顔をしているはずのジェイドすら、なんだか少し驚いたような顔をしている。
「なんだよ急に!」
音が反響し続ける鼓膜に涙目になりながら怒鳴るも、
は何がショックなのか呆然と手をわななかせていた。
「サフィールさん!? あいつ、ディストが!?」
「……なに驚いてるんですか。
陛下から昔の話は聞いていたのでしょう?」
「そりゃ幼なじみのサフィールさんの名前は聞いてますけど……っ!
ていうか毎日ブウサギで聞いてましたけど!」
ディストがディストが、と うわごとのように呟く。
どうやらサフィールの名前は知ってたようだが、
それがディストだということは知らなかったらしい。
「じ、じゃあディストがジェイドさんと陛下の幼なじみ……」
「それは私としても抹消したい過去なので忘れてください」
おそろしいほどの笑顔でジェイドはそう言い捨てた。
はそれに脅えることすら忘れて、はぁと溜息をつく。
「陛下はずっとサフィールサフィールって呼んでたから」
ディストなんて名前出たことなかったぞ、と独りごちるに、
ジェイドは少し考えるように黙った後、ふっと口を開いた。
「まあ、後で話してあげますよ」
飛行譜石を探しているときから律儀にジェイドを待っていたのかと
みんなの話題がディストのほうへ向かう。 そりゃ倒れもするか。
するとジェイドは宿屋に寝かされているというディストを叩き起こして、
ロニール雪山のことを聞きましょう、と言った。
「ではルーク、宿に行きましょう」
「……う、うん」
笑顔の迫力に押されて頷けば、ジェイドはさっそく身をひるがえす。
みんながそれに続き、俺も足を踏み出そうとしたとき、
動かないの姿に気が付いた。
「?」
声をかけると譜業仕掛けのオモチャみたいに体がびこんとはねる。
「え!? わ゛っ! はイっ!?」
「いや、なんでテンパってんだよ」
やたらうろたえたを半眼で睨んで、ふと気付く。
「……あれ。
おまえ何か、顔赤くないか?」
首をかしげて覗き込もうとすると、
はぐりんと顔をそらして、足早に歩き始めた。
「い、いや! なんでもないんだ! は、ははっ!
ほら早く行こうルーク!」
「お前が立ち止まってたんだろ……」
手足が一緒に出る不自然極まりない歩き方の。
そのずっと前を迷いのない足取りで進むジェイド。
両腕を組んで、目だけで宙を仰いだ。
「…………ふーむ」
そして名探偵みたいな気分でひとつ頷いた俺の先、
ガイがやれやれというように苦笑していたのには、気付かなかった。
大佐とアビ主の関係が変わり始めているのにうっすら気付いて、
あれ俺すごいんじゃね、と思ってるルークの傍ら、
とっくの昔から見守りモードなパーティの母ガイラルディア・ガラン・ガルディオス。
>「おまえ何か、顔赤くないか?」
「いつか話してあげますよ」みたいなぼんやりした言葉ですら言われたことないのに、
突然「後で話してあげますよ」なんて具体的なことを言われたもんで動揺しまくるアビ主。
長年の夢、叶いそうは叶いそうでまたうろたえる小心者。
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