【Act36-それは“覚悟”ですか。】
シェリダンでタルタロスの改造を手伝い始めてから、約二週間が経った。
作業はすべて完了して、タルタロスはすでにシェリダン港に運ばれている。
さすが め組とい組が共同開発した装置、出来のほうも完璧だ。
後はルークたちを待つのみ、とイエモンさん達と一緒に
みんなの帰りを待ち望んでいた俺の耳に、集会所の扉が開く音が届いた。
勢いよく扉のほうに顔を向けて、逆光に隠された人影を凝視する。
こうして期待しては職人さん、郵便屋さん、近所の子供、と肩透かしをくらい続けた俺だったが、
やがて複数の聞きなれた声とふたつの赤色を確認して、思い切り床を蹴った。
「みんな! ルーク! っジェイドさーん!!」
「……うっわ!」
「おわぁ!」
先頭切って中に入ってきたルークと、ほぼその隣にいたジェイドさん目掛けて飛びついたのだが、
ジェイドさんが俺をさっとかわして脇に避けたのでルークひとりが俺の全体重を負担することになり、
それに耐え切れなかったルークが倒れこんだ方向にいたガイも巻き込んで、結果的に三人で床に転がることとなった。
沈黙が広がる中、俺とルークが呻き、下敷きになったガイが声もなく悶絶する。
いつもならここでちょっとへこたれたところだけど、今の俺は色々と最高潮だ。
ぱっと体を起こし、みんなを見回して満面の笑みを浮かべながら敬礼した。
「お疲れ様です! 皆さんご無事で本当に良かった!」
「……たった今ダメージ負ったけどな……」
ぼそりと呟いて腰を抑えながら立ち上がったルークと
後頭部を抑えて苦笑するガイに慌てて謝ってから、俺はちらりとナタリアに目を向ける。
すると彼女は俺たちのやりとりを見て楽しげに笑っていたので、
インゴベルト陛下や平和条約の件は嫌な結果に終わらなかったらしいと安心してルークに経過を尋ねることが出来た。
「うまくいったのか?」
「ああ! 叔父上がちゃんと解かってくれてさ」
予想通りの答えをくれて嬉しげに笑ったルークと、はにかんだ微笑みを見せるナタリアに、今度こそほっと息をつく。
その後はインゴベルト陛下、ピオニー陛下、イオンさま、
そしてケセドニアのアスターさんを交え、ユリアシティに場を設けて平和条約を締結したらしい。
会談場所に向かうにあたり、奪われていた飛行譜石も取り返したという。
あたり前の事だけどピオニー陛下も一緒だったんだと思うと、
会えなかったことがちょっと残念なものの、その分シェリダンで収穫があったから良いだろう。大収穫だ。
「ところで準備のほうはどうなっていますか?」
そこで緩んだ場に目的を取り戻させるように はっきりとした声で告げられた大佐の言葉に、
みんなも顔を引き締めてイエモンさんのほうへ向き直った。
俺は事前にイエモンさん達から聞いていた話になるが、地核へはアクゼリュス跡から進入することになるという。
だけど耐久性とか譜術障壁の限界時間とか色んな問題があって、
シェリダンを出発してから百三十時間でタイムリミットを迎えてしまう。
だからかなり急いで事を進めないと、俺たちみんな地核でドカン、なんて恐ろしいことになる。
でも何もしなければどのみち崩落でドカンだ。やるしかないんだろう。
うう、怖い。どっちも怖いけど、みんなと一緒な分だけ地核突入のほうがマシな気がした。
いや、かなり究極の選択だが。
*
「狼煙が上がりました」
集会所の扉から顔を覗かせた整備士の人が作戦スタートを知らせてくれる。
シェリダン港にいるアストンさんが譜術障壁を展開したようだ。
「さあ、見送るぞい」
俺よりずっと勇ましい職人の顔でイエモンさんがそう言ったのを合図に、みんなが動き出す。
集会所の出入り口のほうに足を進めながら、俺はちらりと大佐を窺い見た。
いつ言おう。 いつ言えるかな。
いっそのことどさくさに紛れて今っていうのも有りかもしれない。
奇妙な高揚感に弾み出した心臓を抱えつつ、俺は隣の赤色を仰ぐ。
「あの……っ」
いざ喋ろうと思った瞬間、前方のざわめきに気付いた。
そちらに目を向けると、先に集会所を出たルークたちが扉のすぐ外で立ち止まっている。
大佐が鋭く赤を細めて、扉の脇から身を滑り出させたのに続いて俺も外に出た。
すると集会所のすぐ前。
綺麗に伸びた背筋と、女性的でありながらも精悍な顔つきをしたその人物の姿に、思わず息をのむ。
六神将、魔弾のリグレット。
さらに彼女の両脇には複数の神託の盾兵の姿がある。
「お前たちを行かせるわけにはいかない。 地核を静止状態にされては困る」
無駄な抵抗は止めて武器を捨てろ、と言うリグレットに、万事休すという言葉が脳内を駆け巡ったとき、
まだ室内にいると思っていたイエモンさんの声が屋外から聞こえてきた。
「タマラ! やれいっ!」
「あいよ!」
その声が響くが早いか、いつのまにそんなところへ回り込んでいたのかタマラさんが飛び出す。
手にした音機関から兵達に向けて炎を噴射させた。
「今じゃ! 港へ行けぃ!」
たじろぐ兵達。その隙を突くようにイエモンさんが俺達に叫ぶ。
けど、と迷うように言葉を濁したルークの声を遠くに聞きながら、
俺は強烈な痺れが背筋を突き抜けていくのを感じた。
それはいつかとよく似た、予感。
内臓をひっくりかえすような衝動に、急き立てられるように前へ出る。
「タマラさん!」
ダメです。 一緒に逃げましょう。 危ないです。
ぜんぶ喉のすぐ手前にあるのに、ひとつも言葉に変わらない。
口を開きかけては閉じる俺を見て、タマラさんが微笑んだ。
「そういえば名前を聞いていなかったねぇ、新入り坊や」
柔らかい声だった。
まるでいつものお茶のついでみたいな気軽さで彼女は言う。
俺は詰まりかけた息を吸い直して、音を紡いだ。
「……。 です」
震える声で継げた自分の名前。
背後でイエモンさんが楽しげに息をついたのが聞こえた。
「良い名前じゃの」
「ええ」
イエモンさんの言葉にタマラさんが頷く。
そうでしょう、良い名前でしょう? 俺の大好きな人がつけてくれた名前なんです。
無茶なことばっかり言って、仕事もよくサボるし脱走するし、ほんと困ったひとだけど、太陽みたいなひとなんです。
そう言って笑いたかった。 だけど全て乾いた口内に張り付いてしまう。
頭のてっぺんから血が下がっていくような気がした。
俺たちを守るように前に立ちはだかった二人は、もうこちらを見ないままに、笑った。
「ルーク、、がんばれよ」
「孫が出来たみたいで楽しかったわ。 ありがとうねぇ、」
そんなこと言わないで。 もう会えないみたいなこと言わないでください。
もっとあなたたちに話したいことがたくさんあるんです。
俺の大好きなひと達のこと。 俺のこと。 あなた達のこと。
もっともっと、もっと、俺は。
「時間がない! 早くせんか!」
イエモンさんの一喝にびくりと肩を揺らす。
この二週間ずっと彼らの作業を手伝っていた体は、イエモンさんの指示を認識して、みんなと同じ方向へと勝手に動いた。
だけど一番近くにある街の出口はすでに塞がれていた。
周囲には一般の人も多くて、大佐も下手に譜術を使うことは出来ない。
動きを止めた俺たちを見逃す事なくリグレットの銃が鳴る。
それに手元の弓を弾き飛ばされてナタリアが悲鳴を上げた瞬間、視界の端に動いた影を感じた。
「邪魔だ!」
ナタリア、と呼びかけようとした声を飲み込む。
さっとそちらを見ると、リグレットに飛び掛ったイエモンさんが、今まさに払いのけられるところだった。
皮膚が粟立つような感覚を覚える。
「イエモンさん!」
ルークが叫ぶ。
「イエモンさ……っ」
そして思わず傍によりかけた俺を制したのは、今一番危険な状況にあるといえる、二人の声。
あたしら年寄りのことよりやるべきことがあるでしょう、とタマラさんが言う。
さっさと行けと、イエモンさんが怒鳴る。
どくん、どくんと弾けそうなくらい心臓が脈打っていた。
「行きましょう、早く!」
ジェイドさんの声。
思考とは反対に、体はその指令に忠実に動いた。
身をひるがえして、みんなの後に続き全力で走る。
遠ざかっていく喧騒と、周囲を過ぎる新たな喧騒。
金属がすれる音と、悲鳴。
頭が、戻れ、という。
二人のところに戻れと。
だけど体は止まる事無く、ひたすらに前へ進んでしまう。
「良い名前じゃの」
「ありがとうねぇ、」
巡るのは、ついさっき聞いたばかりの声。
頭の奥がきしむ。
吸おうとした息はほとんど外に零れた。
(いやだ)
意味を持たない主張が全身を渦巻く。
だがそれを瞬時に否定したのもまた、俺の声だった。
(いやだ)
ダメだ。
(一緒に逃げるんだ)
ダメだ。
(なんでだよ)
だって。
(見殺しにする気か)
「……やめろ」
頭の中でふたつの思考が回る。
どちらも自分の声なのに、片方は自分のものではないような鋭い響きを帯びていた。
(嫌だ、嫌だ、最後なんて(最期なんて)いやだ、やめてくれ)
片手で ぐっと頭を押さえた。
だけど声は止まることなく、叫ぶ。
(嫌だ。 嫌だよ。 逃げよう)
(みんなで一緒に逃げるんだ)
(逃げたい。 逃げてくれ)
(一緒に、逃げ )
「うるさいっ」
押し殺した声を上げ、ひときわ強く地面を蹴りながら、一度きつく目を瞑る。
「俺のくせに……我侭言うな……!」
ダメだ、ダメなんだよ、引き返したってだめなんだ。
俺には止められない。だってあの目は、あの真っ直ぐな目は。
「」
“覚悟”
「……!」
少し強く響いた声に、はっと顔を上げる。
気付けばすぐ隣を走っていたジェイドさんが、険しい顔で俺を見ていた。
そこに焦ったような色があるのは、この状況の厳しさのせいだろうか。
「…………っ」
思えば俺はすっかり混乱していたのだろう。
だって普段なら絶対出来ないようなことを、横を走るジェイドさんの服の背を、
すがるように握り締めただなんて、正気だったらできっこない。
「ジェイドさん、オレ、怖いんだ、怖くて仕方ない。
だって“覚悟”をした人っていうのはいつだって真っ直ぐな目をしていて、」
敬語で話すことすら忘れた俺を見るジェイドさんの赤い目が揺れている気がした。
ああでも、きっと見間違いだろう。 彼が動揺なんて。
喉で、ひゅっと空気が鳴る音がした。
「―― いつだって、臆病者の言葉が届かない」
二人の柔らかな笑顔を思い出す。
俺には彼らを止められない。
止めてはいけないと本能が警鐘を鳴らす。
だって、覚悟をした人間を止められるのは、同じ覚悟をした人間だけなんだ。
やがてジェイドさんは すいと目を逸らし、
服を掴む俺の手を解いてから、前を向いた。
「走りながらあまり喋ると、舌を噛みますよ」
「はい、ジェイド、さん」
ほとんど囁くようにそう返事をして下を向きかけた俺の耳に、小さな言葉が届く。
「……今は前だけを見ていなさい」
それが何だかジェイドさんらしくなく気遣わしげな声で、
俺は状況を忘れて、少しだけ笑った。
「はい、大佐」
後はみんなの背中だけを見て、ただひたすらに走り続けた。
二人にもらったいくつかの言葉を、胸の中に響かせながら。
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