長い通路を歩きながら、手にした書類の中身へ簡単に目を滑らせた。
問題がないことを確認して、視線を上げる。
そして緩めていた足取りを速め
己の執務室へ向かおうと一歩足を踏み出したとき、
「ぅひィあ゛ー!!」
……聞こえてきたこの上なく情けない悲鳴に、ジェイドは盛大な溜息を吐いた。
【Act2 - 私の部下を紹介します。】
宮殿から一直線に伸びた道を少し歩けば声の正体がすぐ明らかになる。
とはいえ皆も慣れたもので、あれだけの悲鳴が響き渡っても誰一人としてとんでこない。
相手から気付かれない程度の位置でジェイドは足を止めた。
「なんっで攻撃してくるんですかー!」
「戦闘訓練だからに決まッッッてんだろうがぁ!!!」
男は持つ剣の切っ先を相手に向けて力いっぱい怒鳴る。
あれは兵への剣術指導を担当する教官だっただろうか。
一方怒鳴られた青年は、剣を胸に抱えるようにうずくまっている。
涙目、で済めばまだ可愛いものだが彼はすでに号泣していた。
頭痛がしてくるような気持ちでこめかみを押さえる。
我が子の失態を見るというのはこんな思いなのだろうかと
アレを手元に置き出してからよく考えるようになった。
「だって切れるんですよ! 刺さるんですよ! 危ないじゃないですか!!」
「じゃあお前が持ってるソレはなんだソレは!」
「剣です」
「これも剣だよ! 剣士が剣でビビってどうする!」
「……だって当たったら痛いじゃないですか」
ぼそりと零した彼に、いよいよ耐えかねたらしい教官が剣を振りかぶる。
悲鳴を上げつつも器用に避けた彼を遠いところに眺めていると、
傍を通りすがったメイドたちの、も顔だけならねぇ、という溜息交じりの呟きが聞こえた。
確かに顔だけならば彼はなかなか女性受けする整った顔立ちをしている。
それは本当のところ彼がというよりも彼の“元”がと言ったほうがいいのかもしれないが。
しかしその長所を埋め立てて山になるほどの短所が
女性たちが彼をそういう対象に見られない原因だろう。
「おい、こら、逃げんなビビリ!」
「ににににげなきゃ切れるじゃないですか!」
「迎え撃てよ!」
「無理です!」
臆病だなんて言葉はとうの昔に通り越して、
もしかすると ああいう習性の生き物なのかと思わずにはいられないほど、臆病な青年。
いやそれとも それが模造品ゆえの劣化なのか。
そんな考えが過ぎったところで脳の奥にジリッと焼けるような感覚が走る。
あれはジェイドにとっては忌まわしい存在だった。
当然だろう。あれは罪そのもので、あれが周りをうろつくたびに、それを突きつけられるのだから。
お前は逃げられやしないと。
忌まわしい。
しかしそれならわざわざアレを傍におかず、目の届かないところへやればいいのだ。
最初のように。
遠い記憶を思って、ジェイドは目を細めた。
あのとき自分は、目の前で泣き叫ぶアレを“処分”することができなかった。
だが己の中の変化を深く掘り下げることが嫌で、あれを人に任せたきり、仕事に没頭した。
おそらく考えたくなかったのだろう。
変化を認める事、それは過去の罪を認めることだったのだから。
そんな微かな波紋を感じ取ったらしい、人の感情の機微に聡い幼馴染は、それを好機と取ったのだろうか。
めったに見ない真剣な顔で切々とジェイドを説き伏せた。
否が応にも罪と向かい合わせにさせられたときに零れたのは苦笑で、
そのあと脳裏に浮かんだのは自分が処分できなかった最後の模造品だった。
彼が生きられるように取り計らってやってくれと口にしたのは もはや無意識のうち。
言ってしまってからジェイドは様々な事に驚いた。
まずそんなことを口にした自分に、
次に、生きられるように、という言い様に。あれはただの物に過ぎない。
最後に、呼べる名がなかったという事実に。
内心の動揺を押し隠しながら、かいつまんだ説明をすると幼馴染は意味ありげに笑った。
お前はそのレプリカを消せなかったのか、とやたら愉快げに言った彼をいぶかしみながらも肯定すると、
ことさら上機嫌に幼馴染が口を開いた。
「おまえ、それは殺せなかったって言うんだよ」
消せなかった。
殺せなかった。
それは些細な違いだった。
しかし、己にとってはとてつもなく大きな違い。
「そいつが生きてるって、お前は認めちまったんだ」
“物”が“命”に変わった日、
ジェイド・カーティスは生物フォミクリーを自らの手で封じた。
意識を現在へ引き戻したジェイドは、
顔面ぎりぎりのところで相手の剣を受け止めている逃げ腰の青年を改めて見やる。
「」
聞こえるか聞こえないか、そんなラインの声量だったはずだが、彼は勢いよくこちらを向いた。
そしてジェイドの姿を見つけるとパッと表情を明るくする。
「ジェイドさん!」
「ぅおっ!?」
彼は交差していた相手の剣をすばやく撥ね退けると、己の剣をさやに収めて走りよってくる。
突然の事に対応し切れなかった男は弾かれた勢いのまま 後ろに倒れ込んでいた。
「今から本部に戻るんですか?」
「ええ。進めたい仕事がありますから」
「じゃあ俺も戻ります!」
顔いっぱいに浮かべられた笑顔の裏に必死なものを感じ取り、
ジェイドはにっこりと笑ってみせた。
「訓練から逃れたいんですね?」
「……そんなこともあったりなかったりします」
「本当いつまで経ってもビビリですねぇ。
せっかくだから根性叩きなおしてもらったらどうですか?」
「叩きなおして強くなる鉄ばかりじゃないんですよ!?
べっこんべっこんにヘコむだけで剣にも鍋にもなりゃしない鉄だってあるんですよっ!!」
笑顔が一転泣きながら訴えてくる彼に、このまま置いていくのも面白そうだと思考をめぐらせる。
そこでふと視界の端に入ったのは、座り込んだままの男の姿。
完全に萎縮しきった様子でジェイドを見る男にちらりと目を合わせると、一度大きく体を震わせて下を向いた。
しかしそれを見下す間も嘲笑する間もなく、きんきんとした叫び声が割り込んでくる。
「ジェイドさんジェイドさんジェイドさんー!!!
お願いしますから一緒に行かせてくださいぃいい!」
「……あっちが正しい反応なんですよ? 分かってます?」
手で片耳を塞ぎながら呆れたように呟くが、
目の前の青年からは「ぅへ?」という間の抜けた声が返ってきただけだった。
ジェイドは深い深い溜息を吐いて、くるりときびすを返した。
「ま、いいでしょう。行きますよ」
「あ、え、……っはい!はい!ハイぃ!」
「うるさい」
「はい!」
間抜け顔が今度は阿呆みたいな笑顔になって後ろを歩き出す。
それを肩越しに見やって、ジェイドは少しだけ笑った。
「あれ、ジェイドさん、なんかご機嫌ですか?」
「ええ、まあ」
中々どうして、まんざらでもない、この生活。
何月かぶりに見た模造品は、やはり脅えていた。
それなのにこちらの姿を捉えた瞬間、光を見つけたような顔で笑ったものだから、
ジェイドは本当に、本当に、観念するしかなかった。
認めた過去は決して優しいものではなかったが、
仕方が無い、そのずっと蓋をし続けていた罪と顔をつきあせよう。
しかしそれを清算するには まだまだ時間がいるのだろう。 長期戦は、望むところだ。
「私がまた顔をそらさないように、
あなたには見張ってもらわなくてはなりませんね」
目の前の、罪そのものといえる存在へ静かに語りかけると、
理解は出来なかったのだろうが、ただ雰囲気を感じ取ったらしい彼がすこしだけ、頷いた。
膝をついて、座り込んでいる彼と視線を合わせる。
よろしくおねがいしますよ、と呟けば、何がおかしいのか彼はまた笑った。
「じぇ、ど」
世話をしていたメイドたちの会話で覚えたのだろうか、
たどたどしい発音でジェイドの名を呼んだ彼は、
最高の光を見つけたように、笑った。
ああきっと本当に忌まわしいのは、人の心がひとつではないことだ。
ただ、この心でざわめいている忌まわしさを凌駕する感情につける名前を、私はまだ知らない。
呼び方は基本「大佐」 素だと「ジェイドさん」
自分から何かに執着することはなさそうな大佐には、
貶しても イジメても からかっても イジメても イジメても イジメても 後ろをついて歩く大佐大好きなアビ主。
でかい子犬。でかいミュウ。
← □ 外殻大地編→