【Act19-湧き上がるこの気持ちを知っていますか。】









アラミス湧水洞の深部で、ガイと一緒にルークさんを待ち続けていた俺は、
やがて暗がりの向こうからやってくる鮮やかな赤を見つけたとき、反射的に顔を俯けてしまった。


「ようやくお出ましかよ」


嬉しそうにそう言って前に進み出たガイの後ろに立ち尽くしたまま、ぐっと拳を握る。

心臓がばくばくと音を立てていた。
あわせて頭のてっぺんから血が全て下がっていくような錯覚を覚えながら、ただみんなの会話を聞く。


「今更名前なんて何でもいいだろ。
 せっかく待っててやったんだから、もうちょっと嬉しそうな顔しろって」


もしもルークさんの目が変わっていなかったら。
あのときの自分を思い起こさせる色をしていたらと思うと、怖い。


(……違う、だろ、俺)


彼を待つと決めたんじゃなかったのか。
ここまできて まだ怖気づくつもりなのか。

震える手を強く強く、握り締める。




「……うん、ありがとう」


そのとき、耳に届いた声に、俺はふと目を見開いた。
とっさに少し顔を上げると、そこには久しぶりに見る気がする、ルークさんと響長の姿。


短くなった赤い髪が、なんだかとても“らしく”見えて、
硬さが消えた表情が、なんだかすごくすっきりしていて、

翠の瞳が、柔らかくて。


俺は目の奥から込み上げてくるものを感じながら、今度こそしっかりと顔を上げた。


「ルークさぁん!」


涙声で名を呼ぶと、まん丸になった三対の目が一気に俺のほうを向く。
だけど構わずそこに立ち尽くして、ぼろぼろと泣きながら言葉を続けた。


「ルークさん、おっ、オレっ、俺を、オレを殴ってください!!」

「は?」


ルークさんが、呆気にとられた声をあげる。
隣の響長もぽかんとした顔で俺を見ていたが、唯一 先に話をしてあったガイだけは苦笑していた。


「殴ってください! おもいっきり! さあ早く!
 そのあと俺がルークさんを殴りますからー!」

「お前も殴るのかよ!!」


「ルークさん、俺たちがしなきゃいけなかったのはケンカなんです!」


あいにく背景に夕陽はないけれど、男二人の喧嘩といえば殴り合いです。
陛下がそう言ってました。

そう怒涛の勢いでまくし立てると、ルークさんはふいに表情を暗くした。


「……俺にお前は殴れないよ。
 だって悪いのは、俺なんだ。 殴られなきゃいけないのは俺だけなんだよ。 だから、」

「ルークさん!」


彼の言葉を遮って、俺は何度も首を横に振った。
そういうことじゃない。そうじゃないんだ。だって。


「俺たち、どっちも間違ってたんです」


揺れる翠を真っ直ぐ見つめて、俺は呟いた。


「違う! 俺だ、俺だけだ。お前らは何もしてないだろ!」

「“何もしなかった”。 それが間違いだったんだと思います。
 ……俺も、ルークさんも」


言葉を交わしながら、気付けばルークさんも泣きそうな顔になっていて、
俺は釣られてさらに泣きそうになるのを堪えながら、目元をぐいと袖で拭った。

彼から目を逸らした俺。
罪から目を逸らした彼。

あのときの俺たちは、どちらも、間違っていたんだ。


「そういうとき本当は何をするかといえば、ケンカなんです。
 俺達は喧嘩をしなきゃいけなかった」


どちらも正しいとき、どちらも正しくないとき。
そんなふうに、心の整理をつけなきゃいけないとき、人は喧嘩をする。
それは答えを出すためじゃなくて、分かり合うためにするんだと、俺は陛下から聞いた。


「だから俺を殴ってください。
 俺も頑張ってルークさんを殴りますから!」

「いや……そこで頑張る必要はないと思うけど……」


複雑そうに手を宙に浮かせていたルークさんは、やがて表情を崩して、泣きそうな顔で笑った。

それはとても不器用で、とても、彼らしい笑顔だった。
俺も泣き顔を無理やり変えた情けない顔で笑う。


「ケンカって、両成敗なんですよルークさん」

「うん」


「だから頑張って喧嘩して、最後にジェイドさんに怒ってもらいましょう。
 ちょっと……物凄く怖いけど……」

「うん」


二人で頷きながら笑いあう。
視界の端に、ガイと響長も微笑んでいるのが見えた。

そして俺は深く息を吸い込んで、ずっと言いたかった言葉を、口にした。



「おかえりなさい、ルークさん」

「……うん」


照れ臭そうに笑みを深くした彼を見て、俺はまた少し泣いた。









結局ルークさんがどうしても出来ないと言うので、
喧嘩はやらずじまいで俺達は出口に向かって歩き出した。

正直ちょっとほっとしてる。
だって引き受けてくれたとしても俺にルークさんが殴れていたかどうか。
でも男は殴り合いをしないと仲直りが出来ないって陛下は言ってたし……。

いや、とにかく仲直り(?)は出来たんだから、もう喧嘩はしなくても大丈夫だろう。うん。




「あ、ルークさん。なんですか?」


声を掛けられて考え事を打ち切ると、
すぐ隣を歩いていたルークさんが微妙に気まずそうな顔で頭をかいている。

口の中でもごもごと何事か呟き、数十秒の間の後に彼はそろりと口を開いた。


「……え、と、俺は、本当の公爵子息じゃないから……その、ルークでいい。
 敬語もいらない」

「あっ、じゃあルーク 俺 大佐に『あまり遅れたら置いて帰りますからね』って言われてるし
 あの人そう言った以上 本当において行く人だと思うからなるべく早く追いつきたいんで急ごうぜ」



ゴヅッ。


無言でミュウアタックくらいました。



切り替え早すぎだろ!!?

「だ、だってルークさんが良いって言ったんじゃないですかぁ!?」


涙目で地面にうずくまりつつも敬語に戻すと、
ルークさんはちょっとバツが悪そうに顔を背けた。

「……や、さっきのでいい。敬語じゃ、なくて。ルークで」


どことなく顔を赤くしながら小さな声でそう呟いた彼を、見返した。

ああ、この人ちゃんと変わってきてる。
ルークさんは……ルークは、歩き出したんだ。


(じゃあ俺は?)


視線を地面に落として、考える。

地につけた手をぎゅっと握り締めた。
ルークや先を歩いていたガイ達が怪訝そうに俺の名前を呼ぶのが聞こえる。


(変われるんだろうか。俺も。)


脳裏に始まりの赤が過ぎった。


(ジェイドさん)




一度 強く目をつぶって、それから、ゆっくりと瞼を押し上げた。

立ち上がってみんなの顔を見回す。
三人は様子がおかしい俺を、少し心配そうに見ていた。

優しい人たち。

ジェイドさんや、ピオニーさんたち以外にも、
優しい世界を持っている人がいるんだと俺に教えてくれた。


世界は怖いばかりじゃないと、俺に気付かせてくれた、人たち。


「ルーク、ティアさん、ガイ」


ぐっと顔を引き締める。


「言わなきゃいけないことがあるんだ」


少しでいい。ほんの少しでも、いいから。



ジェイドさん。




俺は、変わりたいです。








さりげに響長からティアさんへ呼び方チェンジ。

アッシュの目を通してベルケンド港でのアビ主一世一代の告白は聞いていたけど、
まさか喧嘩って話からいきなり「殴ってください」になるとは思わずうっかり動揺したルーク。


漢道的なアレとか人の心に関することとかを教えてるのはジェイドじゃなくて陛下。
しかし鵜呑みは危険な陛下知識。 気をつけろソレは常識じゃない。

なので世間一般の常識を教えたのはジェイドだと思います。