俺は今日、とある人と会う約束をしていた。
「遅れるー!!」
……のだが、今日も今日とて執務室にやってきたピオニーさんとあれこれ喋っていたら、遅刻しかけている。まずい。
俺は一応これでも、こんなでも、腐っても軍人であるため、
時間厳守の精神は震えがくるほど叩き込まれているので、冷や汗を浮かべながら目的地に向かって全力疾走する。
グランコクマの通行人の皆様も慣れたもので、
「またが走り回ってる」「がんばれよー」と時々声をかけてくれつつ、俺の進路を開けてくれていた。すみませんありがとうございます。
そうしてどうにか約束の時間ぎりぎりにたどり着いた、住民にも観光客にも人気のグランコクマ広場で、
俺は隅のベンチに腰を下ろしている一人の女性のもとへと駆け寄った。
「ごめん待った!?」
「今来たところ、って言わせる気かい? なんだい、恋人ぶって口説くつもりじゃないだろうね」
「えっ!! いや、オレ、そういうつもりじゃ!!!」
「そこは『そうだ』って頷いときゃいいのさ。女に恥かかすんじゃないよ」
「あ! えっと! ちが、ごめ!!」
「くっ、ふふ……! 冗談だよ。久しぶりだね」
「……うん。ノワールも、元気そうでよかった」
穏やかな顔つきでこちらを見上げるノワールに、俺も笑みを返す。
俺が今日会う約束をしていたのは、漆黒の翼のノワールだ。
彼女とは確か瘴気中和前にレムの塔で会って以来だから、本当に随分と久しぶりのことだった。
「まったく、“暗闇の夢”の連中に手当たり次第手紙を渡すなんて、随分と泥臭いやり方したもんだよ」
「どうやって連絡取ったらいいか分からなくて……」
なのでジェイドさんの助言のもと、仕事の合間にサーカスに通い詰めて『ノワールと会いたい』という要件と、
あと普通にずっと会ってなくて気になっていたので『お元気ですか』とか俺の近況とか、
もはや半分以上ただの手紙と化したものを団員さんに託し続けていたのだ。あとサーカスはすごく楽しかったです。
「ま、何にせよあれだけ熱烈なラブレター貰っちまったらね。来ないわけにはいかないよ」
「ラッ、ブレターかはともかく! 会ってくれて本当にありがとう。あ、ヨークとウルシーは?」
「それこそ野暮ってもんさ。男と女の逢瀬に外野はいらない……なんて、わるいわるい、からかいすぎたね。
ふふ、そんなカワイイ顔をおしでないよ。今日は仕事の話をしにきたんだろう? レプリカ保護官の軍曹どの」
「──はい」
「ならテッペン同士、一対一で腹割って話をしないとね。あいつらがいないのはそういうことさ」
正直俺はあらゆる意味でテッペンではないと思うのだが、責任者という意味ならここで否定するわけにはいかない。
今日の自分はレプリカ保護官かつ、ジェイドさんの名代でもある、・カーティスなのだから。
気を引き締めながらノワールの隣に腰を下ろし、一度深呼吸をして口を開く。
「なら……まずはひとつ。ノワール達に打診がある」
「言ってみな」
「マルクトと契約をしませんか。
ノワール達の元の仕事は表のも裏もそのままでいいから、代わりにこちらからの仕事の依頼を受けてもらいたいんだ」
「ふん。あんたには悪いけど、その話は無かったことにしておくれ。国に飼い殺されるなんてのはご免だよ」
「うん、ノワールはきっとそう言うだろうからって、それなら国じゃなくてオレかジェイドさん個人の名義でもって一仕事単位で依頼するから、
受けるかどうかはノワール達がそのつど内容見て決めていいよっていう感じの文書を……ジェイドさんからすでに貰ってきてるんですけど」
「……あんたの上司は預言士かなんかかい?」
「違うはずなんだけどオレもちょっと自信ないなぁー」
だってジェイドさんだから。
「まぁ受けてくれたら、十分なお給料は出すよ。しばらく裏のお仕事やらなくてもいいくらいの」
「はん、だからおとなしくしてろって?」
「いやその時はその時で犯行現場を押さえたらキッチリ捕縛させてもらうだけだから好きにしていいってジェイドさんが」
「………………ほんっと良い性格だよ」
苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てるノワールに苦笑しつつ、預かってきた書類を手渡す。
何か自分達が不利になる要項が組み込まれているのではないかと、ノワールは隅から隅まで仇のごとく文書をチェックしているが、
そこにはどれだけ読み込んでもかなりノワール達に利の多い契約内容しか書かれていない。
いや、それが逆に怪しく見えるか。
だが今回の件に関してはジェイドさんも本当に罠とかは張ってないと思う。たぶん。
むしろなりふり構わず大急ぎで漆黒の翼も借りたい状況に立たされているのが今の俺達で、
今からこちらが頼もうとしているのはジェイドさんお墨付きの『めちゃくちゃに面倒くさい案件』だ。
なんならノワールの側から、もっと報酬をふっかける権利だってあるだろう。
正直俺としては喜びのほうが遙かに上回っているため面倒という感じはしないのだが、
色々と現実的な根回しをしなければならないジェイドさんの立場からすると、ただでさえ目が回るほど忙しかったところへの今回の一大事で、
目が据わるのも分からないでもないというか、うん。
「特に問題はなさそうだね。むしろこっちに有利すぎて怖いくらいだけど……いいさ、あんたの顔を立ててひとまずこの話自体は信用するとして、
あたしら盗賊風情にこうまで下手に出た契約を申し出てまでさせたい仕事、ってのはなんだい?」
真剣な顔でこちらを見るノワールを真っ直ぐ見返した。
よほど危険な仕事なのかと警戒するノワールには悪いが、いや実際に大変な案件ではあるのだけど、と俺はまた少し苦笑を浮かべる。
それにしてもこんな秘密の話ならもっと秘密っぽい路地裏とかでスタイリッシュに話したほうがよかったのではと思うが、
実行するのが俺ならかえって人目のある場所で普通に会話をしておくほうがバレないだろう、というジェイドさんからのお達しにより、
このグランコクマ広場での待ち合わせとなったわけだ。
木を隠すなら森の中だが、秘密を隠すならむしろ堂々と人前で、らしい。
ただしそれはあくまで俺の場合というか、貴方のようなヘタレでビビリでやかましい生き物はむしろ公衆の面前において堂々と話すことによって、
そんなやつがそんなところでしている話が機密のはずがない、と周囲に誤認させるほうが早いだろうとのことだった。
現にグランコクマの皆さんからしてみれば、俺がジェイドさんやピオニーさんの指示で城下を走り回っていることなど珍しくもないので、
ここに向かって全力疾走していたときのように、大抵の騒ぎは“また何かやってるんだなぁ”みたいな感じで微笑ましげに見られて通り過ぎていく人ばかりである。
ほんとすみません。いやありがとうございます。
あのときも無駄に箝口令を敷かないほうがヴァンにもバレずに済んだかもしれませんね、と
ついでに被験者家族とのやらかし後の処理の件までジェイドさんに遠い目をされた末に、俺は今こうして白昼堂々と、大事な依頼を口にする。
「人をひとり、かくまってほしいんだ」
*
諸々の話し合いを終えてノワールと別れた後、改めてベンチに座り直した俺は深々と息を吐いた。
それに併せて力を抜こうとした肩を、急に背後からぽんと叩かれる。
「うわあ!!!」
「うおっ!!」
俺のあげた悲鳴に連鎖して上がった、聞き馴染んだ声の悲鳴に、はたと我に返って背後を振り返った。
「な、なんだガイかぁ。ごめんびっくりさせ……なんか前もこんなことあったよな?」
「あったな……いや、驚かせて悪かった。無事に交渉が済んだみたいだから、労おうと思っただけなんだが」
「あれ、もしかしてどこかで様子見ててくれたんだ?」
「一応な。旦那には過保護だって呆れられたが。
まぁたぶんノワールのほうも近くには仲間が控えていただろうから、そこはお互い様ってことでいいだろ」
「え、ヨークとウルシーいたのかなぁ。会いたかった」
俺の反応に空色の目を細めて苦笑したガイが、先ほどまでノワールが腰を下ろしていたところに座る。
その様子をちらりと見てから、今度こそ肩の力を抜いて空を仰いだ。
「正直今でも、ガイのほうがもっと上手く話せたんじゃないかと思うんだけど、ごめんな。オレのわがままで」
「わがままじゃないさ。の“やりたいこと”、だろ?」
「うん」
ノワールとの交渉役をやるのは、実のところガイでもよかった。
説明や交渉ごとの上手さを考えるなら、むしろガイのほうがよかった、まで十分あるだろう。
それにガイなら俺と違ってちゃんと秘密っぽい場所でスタイリッシュに話せそうだし。
だけど俺にはどうしても、レプリカ保護官としてノワール達に会いたい理由があった。
でもそれだってガイに交渉をまとめてもらった後で改めて話を通すのでもよかったはずで、
なのにレプリカ関連のみならず全てをひっくるめてコンタクトから交渉まで自分でやりたいと言い出したのは、やはり俺のわがままに他ならない。
まず俺はレプリカ保護官として各地のレプリカたちと接しているときに、
とあるサーカス団が行き場の無いレプリカたちを一部引き受けてくれているらしい、という噂を聞いた。
それは暗闇の夢というサーカスで、それこそが漆黒の翼の、表の顔である。
といってもただ単に盗賊団の隠れ蓑としてサーカスを使っている、というよりあちらはあちらで本業というか、
俺が見たかぎり表裏というより二足のわらじといったほうがよさそうな様子だったが。
何にせよ俺は彼女たちが保護しているレプリカについて話を聞きたくて、元々、少し前から漆黒の翼を探していた。
とはいえ今の立場で大々的に探そうとすると軽めの指名手配みたいになっちゃうので、
俺がやってたのはあくまで個人的に、出先でちょっとだけ漆黒の翼の噂を集める程度のものだったため、ほとんど進展はなかった。
それが今回一気に話が進んだのは、俺個人だけでなく“俺達”に漆黒の翼とコンタクトを取るべき理由が発生したからだ。
「でもオレが一人で探してたときは全然見つからなかったのに、
ジェイドさんの助言をもとにやったらあっという間にノワールに会えちゃったんだから、やっぱりすごいよなぁジェイドさんは」
「すごいというか……俺はどちらかというと怖いが……」
ガイが遠い目で地面を見つめる。
言わんとすることは分かる。でもジェイドさんだし。
そんなわけでノワールを見つけるのは、ほとんどジェイドさんに手伝ってもらったようなものである。
だからこそレプリカ保護官として、その他のことは責任をもって可能なかぎり自分でやってみせたかったというのが半分。
あとはみんな本当に本当に本当に忙しそうだから、
俺に出来ることなら俺がやって、少しでもみんなの力になりたかったというのが半分。
さらにもう半分……あれ、半分と半分に半分だと何になってしまうのだろう……まあいいか、
もう半分は、俺がただ久しぶりにノワールに会いたかった、ということ。
それが今回の俺の“わがまま”の全てだ。
「あっ!」
「おわっ、今度は何だ?」
「ノワールとの約束、果たせなかったなぁって」
「約束?」
最後にレムの塔で会ったとき、俺は漆黒の翼のみんなに『グランコクマに訪ねてきてくれたら歓迎する』『そのときは兵士としてじゃなくとして会う』
『だからみんなはノワールとヨークとウルシーとして来てくれ』と言ったのだ。
彼らがあのときの言葉をどう捉えているかは分からないが、俺にとってあれは確かに約束だった。
「歓迎するって言ったのに出来なかったし、俺は“”じゃなくて“レプリカ保護官”として会っちゃったし……」
何もかも果たされなかった再会であったことに今更ながら気づいて、肩を落とす。
交渉にいっぱいいっぱいで約束のこともすぐ思い出せなかったし、なんかもう色々と残念すぎる。
うう、と涙目でうなだれながら唸る俺の頭を、ガイがわしわしと撫で回した。
「なら次に約束を果たせばいい。次が無理だったらその次、また次に。果たすまで何回でも挑戦すればいいさ。
諦めないのはジェイド相手で慣れてるだろ? 」
「……うん」
ガイの言うとおりだ。ノワール達とはまたグランコクマで会ったときに約束を果たせばいい。
そうと分かっていても果たされていない約束がやけに心を揺らすのは、あの旅の中で何度もそれを見てきたからか。
それとも、必ず果たしたいと思って交わした約束が、
新たな日常の中でどんどん世界と時間に置き去りにされていくような焦りへの既視感が、そうさせるのだろうか。
「何にしても、これでようやくあいつをチーグルの森から移せるな」
「あっうん……ほんと……下手にどこにも連れてけないからって、方針決まるまでジェイドさんが問答無用で森暮らしに決定してたもんな……
一応納得はしてたみたいだけど眉間の皺すごいことになってた……」
「機密優先ってことであれ以来俺達もろくに会いに行ってないが、ミュウ達と上手くやれてるのかねぇ」
「そこはなんだかんだ面倒見いいから大丈夫だと思うけど」
ずっと見ないふりをしてきた焦りが今になって胸を焼くのは、奇跡みたいに嬉しいことが起きたからだろうか。
ひとつあったなら、もうひとつ、と思ってしまうのは欲張りなのだろうか。
ルーク。
あの日、彼にかけた「いってらっしゃい」の約束に、俺達は今でも、返る言葉を待ち続けている。
アビス20周年おめでとぉおおおおおおおおおおお!!!!!
□