【きらきらひかる-1】
テオルの森。
グランコクマの目と鼻の先にあるこの場所に、魔物の気配は少ない。
木々の隙間から落ちる太陽の光が、
ぬかるんだ土の上にたまる水にきらきらと反射するのを見ながら、深く息を吐いた。
ゆっくりと、腕を胸の高さまで掲げていく。
そして今度は短く、ふ、と息をついて、目を伏せた。
意識を集中する。
皮膚に触れる湿気た空気。
陽の光。 木の葉の香り。 大地の温度。
全身で、世界の中にある“音”を。
「……狂乱せし、地霊の宴よ……」
感じ取る。
「ロックブレィゴっ!」
がちっ、と合いそびれた歯が舌を挟んで止まった。
口を押さえて悶絶する俺の傍ら、術になりそこなった音素がさっぱりと霧散する。
しびれる舌先に涙目になりながら顔をあげた。
「うう、また失敗した……」
大佐に譜術訓練の終了を言い渡されてから数日、
俺は隙を見てはこのテオルの森に譜術の練習に来ていた。
鍛錬場で練習すればいいんだけど、こんなへっぽこな状態であそこに混じるのは恥ずかしい。
それに大佐と訓練していた間の余波として俺が鍛錬場に行くとみんな青い顔になるから申し訳なくもあった。
うん、俺もあまり思い出したくない。
そんなわけで休憩時間を見計らってはこの森に練習にきているわけだが、
俺が使うのは第二音素、土属性のものだけだから自然も影響を受けにくいはずだ。
山火事、もとい森火事の心配はない。
「術式は間違ってないはずなんだけどなぁ」
濡れていない岩の上に置いた『誰にでも出来るやさしい譜術(中級編)』をめくりながら確認する。
いや、さっきのは単に詠唱を噛んだ上に舌噛んで集中が乱れたのが問題だったのだが、
その前からどうも成功しないのだ。
「やっぱり音素のコントロールかな、うん」
拳を握って、再度 挑戦する。 胸の前に手を掲げた。
「狂乱せし地霊の宴よ」
フォンスロットよし。
術式よし。
音素の収集、構築……よし。
いける!
「―― ロックブレイク!!」
*
木漏れ日が瞼の上に差し込む。
その眩しさに目を眇めて俺は微笑み、
「…………げほっ」
全体的に焦げくさい己に泣いた。
「フォンスロットよし! 術式よし! 音素の収集 構築よし!
ぜ、全部ちゃんと確認したのにー!!」
地面に突っ伏していた体を起こし膝立ちのまま頭を抱えて泣きわめく。
今度こそと思って撃ったロックブレイクは、今度は霧散しなかった。
霧散はせずに、小規模な音素の爆発となって俺とその半径一メートルを包んだのだ。
森に飛び火しなかったようなのは幸いだが、こうなるとさすがの俺もちょっとヘコんでくる。
「ぜんぶ大丈夫なはずなのに失敗なんて、も、もうオレがダメって事なんじゃ……!」
本当に才能なかったのかもしれない。
せっかくジェイドさん直々に教えてもらったのに
こんな事じゃ合わせる顔がないというか、むしろ大佐に怒られそうというか。
何聞いてたんですか貴方、なんてミスティック・ケージかもしれない。
「うわーーー!! ごめんなさいジェイドさぁああん!!」
号泣しながら頭を抱えた俺の後ろ。
「あれ?」
ふいに、かわいらしい女の子の声が響く。
砂糖菓子のようなふんわりとした声。
「ユーリ、こんなところに人がいますよ?」
「……取り込み中みたいだからほっとけ」
肩越しにそろりと振り返れば、数メートル離れたところで立ち止まっている複数の人影。
その中心で、桃色の髪をした女の子が、長い黒髪の人の腕を引いて俺のほうを指さしている。
どうやら先ほどの声はあの子のもののようだ。
「でも何か困ってるみたいです」
「ふふ、始まったわね。 エステルのほっとけない病が」
きれいな青い髪の、なんだか色っぽい女の人がその女の子に答える。
すると黒髪の人はひょいと肩をすくめて、こっちを見た。
そのままつかつかと歩み寄ってくる黒髪の人。
ボケッと目を丸くしてそれを見ていると、
その人に続いてきた他の人たちも合わせて俺の傍で立ち止まる。
先ほどの桃色の髪の女の子が、膝立ちの俺を覗きこむようにして首を傾げた。
「どうしたんです? こんな森の奥で」
「も、森の奥?」
確かに森だけど、こんな、と言われるほどテオルの森は深い森じゃない。
適当に歩いてもなんとか抜けられるし、そもそも迷うほど広くはないだろう。
じゃなかったら俺がひとりで来たりしない。
そう返そうとして、俺はさっと視線を周囲に巡らせ、固まった。
「……へ?」
陽の光がようやく届く程度に鬱そうと生い茂る樹木。
地面に張り巡る太い木の根と、
テオルの森では聞くはずのない、グェグェッ、という大型の鳥系魔物の鳴き声。
そんな深い深い森の中にたたずむ俺と彼ら。
「え? え? えぇええ!?」
「さっきから一人で騒がしい兄ちゃんだねぇ」
「騒がしさだとレイヴンもあんまり変わらないと思うよ……」
頭を抱える俺を見て息をついた紫の着物の人が言うと、
その隣にいる茶色の髪をした少年が遠い目でそう零したのを遠くに聞きながら、
俺の脳内はぐるぐると回っていた。 目も回したいくらいだ。
「だ、だってオレ、え? なんで。 どうして。
いつのまにこんな森の奥に!?」
「なにアンタ、もしかして迷子なわけ?」
半眼でじとりと俺を見る小柄な女の子。
迷子。 あまり良い思い出のない単語にどっと涙があふれ出てくる。
「でもっ、オレッ、そんなはずっ、まいごっ……!?」
「……あーもう! 迷子なら迷子でいいじゃない!
別に笑ったりしないわよ!」
肩をいからせて怒鳴りながらも、泣きだした俺に焦った様子の彼女は、
どこか面倒見が良さそうで、なんとなくアニスさんのことを思い出した。
おかげでちょっと頭が冷える。
ここはどうもテオルの森では無さそうだ。
だけど、だからといってどこなのかと考えても答えは出てこない。
そんな現在地が分からない状態の人間を、普通なんと呼ぶか。
「……迷子です……」
うなだれた俺の目の前にしゃがみ込んだ最初の女の子が、気の毒そうに眉を下げた。
「それでさっきも困っていたんです?」
「え? あ、いや、さっきのは」
その、だから、と意味のない言葉が吐きだされる。
そんな言い淀む俺に集中するいくつもの視線。
無言の圧力に、だらだらと背筋を汗が伝っていく。
「…………術の練習を、していたんです」
さらに肩を落として、消え入るように零された俺の言葉に、
なぜかいる大きな犬がワフンと相槌のような鳴き声を上げるのが聞こえた。
星と深淵。
世話焼きパーティとヘタレプリカ。
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